映画評「長いお別れ」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・中野量太
ネタバレあり

レイモンド・チャンドラー同名小説の日本版ではなく、中島京子の小説を中野量太が映画化したホームドラマ。認知症の老人をめぐる家族のお話だが、中野監督だからひねくれていたりユーモアを交えたところもあり、めそめそ一辺倒でないところがよろし。

東昇平(山崎努)は校長を務めたこともある人間だが、70歳の誕生日を迎え近所から次女・芙美(蒼井優)やアメリカから長女・麻里(竹内結子)が駆けつけても、両者の区別が付かない。事あるごとに母親曜子(松原智恵子)から連絡を受け姉妹はかき回されるが、芙美が帰国する度に父親のボケは進み、本の虫だったのに本を逆様にする始末。
 脳の衰えと共に必然的に諸機能が衰え、肺炎を患い、やがて人工呼吸器を付けるか否か(コロナの場合と違って、通常一度取り付けると死ぬまで取り外すことが出来ない)を家族が問われることになる。麻里の息子で両親の不仲にすっかりひねくれてしまった崇君の意見で、どうも人工呼吸器を付けることになったらしい。
 そして遂に天国へ旅立つ。アメリカの孫・崇は久しぶりに登校した高校で、校長にその話をする。

以上は本作のごく一面に過ぎないので、その他の部分は以下の軽い内容分析の中で説明していく。

一見認知症をめぐる家族のバタバタを描く内容だが、実は人にとって“家”と同義たる“家族”そのものが主題であろう。
 老父は自分の家にいても、家族が連れて行った実家にいても、“家に帰ろう”と言う。しかし、その時点では女性たちは家とは住む家のことと思っている。それが家族のことと解るのは、ボケ切った老父が遊園地で他人の娘と遊ぶところを見て、30年ほど前に彼が遊園地に女性たちを迎えに来た昔話を思い出した時である。彼の家とは、ぶっきらぼうで厳格な性格のうちに愛情を注いでいた妻と娘たちに他ならなかったのである。彼の愛情は誕生日に必ず三角帽子を被る習慣を生み出したことでも説明される。
 長女麻里も日本の実家に行く時に“家に行って来る”と言っては、仕事人間の夫(北村有起哉)に批判される。夫の愛情表現に激しく不満を抱く彼女は、老人と同じで潜在意識のうちに昔からの家族を求めてい、それが“家”という意識せざる表現になっていたわけである。この辺りの文学的表現が実に鮮やかだ。

そして東家の家族としての重心を成していたのはやはり昇平で、よって幕切れは孫が校長(学校の教員はスクール・マスターとも言いますな)に、漢字マスターの祖父の話をすることで締まるわけである。
 料理店出店の夢も恋愛も上手く行かない芙美が段々落ち着くのも昇平への心配や介護あってのことで、彼女が人物配置上の主人公ではあっても、この映画の核は昇平が重しとなって築き上げられた東家そのものであるから、この映画の幕切れは正解と思う。

校長室を出る時崇も校長もTake care.と言い、日本語の字幕は“さよなら”と出る。洋画の対訳では“気を付けて”に類する訳語が当てられることが多いが、多くは親しい者同士の間で頻繁に使われる“さよなら”の意味なので、字幕翻訳家には少々気を付けてもらいたい(洒落になってしまったが)。

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