映画評「自由を我等に」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1931年フランス映画 監督ルネ・クレール
ネタバレあり

巴里の屋根の下」「巴里祭」と併せてルネ・クレール三大傑作(?)を成す。相変わらずサイレント的で、今日のように眠気の強い時に見るとなかなか理解が覚束ない。しかし、見直すと、実にきちんと作られていることが解るのである。多分3回目の再鑑賞。

刑務所で服役している親友同士エミール(アンリ・マルシャン)とルイ(レイモン・コルディ)が脱獄を計るが、塀を登れないエミールが犠牲精神を発揮してルイをうまく逃す。その後ルイは蓄音機会社のたたき売りからとんとん拍子に出世して社長になる。
 やがて釈放されたエミールは浮浪罪で再び留置されるが、縊死を図った際に格子が外れたのに乗じて脱走、憧れる美人ジャンヌ(ローラ・フランス)の後を追ううちに蓄音機会社の工員になってしまう。
 ルイは当初こそ再会したエミールを歓迎しないが、すぐに旧交を温めてだんだんハチャメチャになってくる。そこへ彼の脱走を知る元囚人たちが脅迫に現れた為、エミールとルイはオートメーション化を図る会社から逃げ出し、再び自由を満喫するのである。

タイトルが示すように、テーマは自由である。最初に刑務所での不自由を示し、続いて工場における不自由を示す。刑務所の作業と工場の拘束された流れ作業の何が違うのだ、ということが何気なく訴えられている。

スタイルはちょっとしたオペレッタ形式で、“自由を我等に”が最初と最後に歌われ、自由万歳という主題が強調される。アンチテーゼの“労働は義務である”という歌も出て来る。一般的に働かざる者食うべからずと言われるように労働は美徳とされているわけだが、他人の為に働くことは本当に善美なのかというやや反資本主義的な訴えである。

しかし、実際にはそう堅苦しい内容ではなく、一見極めてノンシャランな作り方に乗せられ、一種のファンタジーとして楽しむのが良いと思う。スラプスティックなギャグは明らかにチャップリンの影響を受けているが、反面オートメーションへの風刺はチャップリンの「モダン・タイムス」(1936年)に影響を与えている。クレールとしては“してやったり”と満足の笑みを浮かべたことだろう。
 洩れ聞くところによると、「モダン・タイムス」に対して製作会社は剽窃として訴えようとしたらしいが、クレールが止めたという。それを言ったら、逆に本作におけるチャップリン的なギャグが成立しなくなる。クレールは賢く冷静である。

コロナによる自粛要請の為か、このところ“自由”絡みの映画をよく再鑑賞している。意図的ではないつもりなので、自分でも不思議だ。

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