映画評「こどもしょくどう」

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・日向寺太郎
ネタバレあり

近年子供食堂なる言葉を聞くようになった。おおよそ鍵っ子のような子供達(場合によっては親を含めて)に無料もしくは極めて安い価格で料理を提供するボランティアな料理店もしくはそうした活動そのものを言うのであろう。だから、本作は店側の立場から描くのかと思っていたらそうではないのである。

食堂の息子ユウト(藤本哉太)は小学5年生で、学校の部活仲間で6年生から虐められる体は大きいが大人しいタカシ(浅川蓮)を家に連れて帰り、ご飯を食べさせてやる。
 ある帰宅時、彼は同じ年位の少女ミチル(鈴木梨央)と7歳くらいの妹ヒカル(古川凛)が道路の下の野原で歌を歌っているのを見る。近くに父親らしき人物と白い小さなワゴンを見出す。学校に行っている様子はなく、やがて父親が姿を消す。
 そっけなく振舞うが実は心優しいユウト君は二人に家の料理をこっそり持って行く。しかし、自分では渡さずにタカシ君を使う。優しさを見せることを嫌っているようだ。やがて二人は姉妹を連れて来る。食事を済ますと、父親が探すと困ると思い、彼女たちは帰っていく。
 しかし、腹は満ちてもまだ幼いヒカルには親の失跡という事実が解らず寂しさを禁じ得ない。ユウト君は店の金をかすめて4人で、姉妹の記憶のある伊豆のホテルへ向かうが、勿論どちらの親もいない。
 いつもの場所に戻ると警官がい、かくして姉妹は児童福祉施設に送られる。その途上姉妹は幸運の印である虹色の雲を見出す。この事件を受けて食堂は小学生以下の子供には無料で料理を提供する店になる。

終わってみれば、子供食堂が誕生するまでのお話で、構成が少しぎくしゃくしている印象を覚える。それまで子供の視点で大人世界を見る物語として続いていたのに、ちとトーンが合わない。

子供同士の交流を描く部分は極めて素直な見せ方で好感が持てる。だからこそ、春をひさいでいるに違いないタカシの母親や、失跡してしまう姉妹の両親が恨めしく思えてくるわけだが、親達にもそうなった理由があるので、人間失格のように決めつけることは僕にはできない。
 それはともかく、タカシの家の事情は分るから良いにしても、姉妹の方の事情が全く分らないのは歯がゆい。せいぜい一年位前には一家を理想的たらしめていた品のある母親(石田ひかり)が何故失跡し、何故父親は車で姉妹を連れまわしていたのか? 父親が事業に失敗したのではないかという感じがするが、全く僕の想像である。主題展開上はその説明がなくても成立するものの、見ていて物足りない。

しかし、一番問題なのは終幕の展開である。それまでは極めて本当らしいお話なのに、親(特に母親)を探しに子供だけで伊豆まで出かけ、児童福祉施設に送られると決まると虹色の雲が出る、という締め方では頗る作り物に見えて来る。それなら最初からもっと作り物めいてくれたほうが却って作品として座りが良い。

鈴木梨央ちゃんは、ポカリスウェットのCMで母親役の吉田羊と歌を歌う子じゃね。

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