映画評「東京パラリンピック 愛と栄光の祭典」

☆☆★(5点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・渡辺公夫
ネタバレあり

新コロナ・ウィルスにより東京オリンピック以上に東京パラリンピックの開催が危惧されている。競技者に病気に弱い人々が含まれているからだ。ともかく、オリンピック共々、5か月後~半年後の楽しみに水をさされた形。つい先ほどバッハ会長が「東京オリンピックは絶対開催する(よう一致協力していく)」と言ったそうだが、開催に危機感を持っている裏返しでもあろう。

さて、市川崑の「東京オリンピック」は有名だが、こちらは全く知らなかった。僕に限らずそういう人が圧倒的に多い。渡辺公夫という人が構成、監督をし、一部撮影にも当たっているが、全体として文化映画という感じで、甚だ地味で素っ気ない。

1964年の東京パラリンピックを知らないと解りにくいところも多い。
 Wikipediaによりますと、東京パラリンピックには、有力選手がこぞって参加する(第13回)ストーク・マンデビル車椅子競技大会なる第一部と、日本人で占められる第二部の全身体障碍者大会とによって構成されている。

日本人の車椅子競技への参加者は5名ほどその声が紹介されているが、産褥熱で下半身不随になることもあると初めて知った。そうした彼女たちはどうも複数の競技に出ているようで、卓球をするかと思えば、槍を中心点に近付けるよう投げることを競う名前の解らない競技(正式競技ではない可能性もある)にも参加する。
 競技そのものに関して渡辺監督は全く説明をする気がないようで、どうも若い男性競技者の言う、政府の障碍者へのパックアップという問題に観客の考えを導くのが主眼ではなかったかと思われる。
 若者の述べたことはかなり現在では達成されているが、普遍的な意見として、障碍者への支援は最終的に経済効果として現れるはずだという考えに僕も賛同したい。僕らが想像する以上にバリアフリーは進んでいる(ある車椅子利用者の意見)一方、日本にはまだ足りないところがあると思う。

この時点では公式にはパラリンピックという名称では語られていず、それが公式に使われオリンピックと並行開催となったのは1988年ソウル大会から、同時開催が正式になったのは2000年シドニー大会から(Wikipediaによる)。まだ歴史が浅い。
 また、既に記したように、この当時は車椅子大会であって、視覚障碍者、知的障碍者などは無関係であった。

昔の日本製ドキュメンタリーを見て感じるのは、きちんとした日本語が話されているということ。正に本作の時代の日本語で育った僕の日本語観では、今の話し言葉は腹が立つくらい聞き苦しい。大衆の多くは言葉への意識が低いから、すぐに他人の言い方に染まる。

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