映画評「七人の無頼漢」

☆☆★(5点/10点満点中)
1956年アメリカ映画 監督バッド・ベティカー
ネタバレあり

若い頃ランドルフ・スコットのB級(ロー・コスト、ロー・バジェット)西部劇を十数本観たが、本作は未鑑賞。

フランスのお経みたいな観念的な映画評を書く映画評論家の高評価など無視すれば良いのに、無視できない日本の映画マニアに褒める人多し。とは言え、実際のところ50年代のスコット主演の西部劇では面白く良く出来た部類、というのは確かである。脚本が後に面白い西部劇を自ら監督としても数多く発表するご贔屓バート・ケネディということもあるだろう。

開拓時代後期。雨の中を歩いてやって来た元保安官スコットが、二人の男が火に当たっている洞窟に入って来る。彼は男たちが強盗で妻を殺した7人の男たちの一部であることを知っていて、それを匂わせ相手が銃撃する前に発砲する。
 のだが、ここでセンスが良いのは、全くそれを見せずに、頼りなさそうな東部男ウォルター・リードとその愛妻ゲイル・ラッセルが幌馬車を泥地から出せずに難儀、そこへスコットが通りかかる、という次のシークエンスに繋げていることである。

カリフォルニアを目指すという二人は、南へ向かうと言うスコットと何故か離れようとしない。
 この後の場面で、スコットが妻の復讐の為に7人の男(この時点で二人はいないから実際には5人)を追っていること、そして夫婦が彼と同じ場所を目指していることが判って来る。というのも頼りない夫君が実は強盗犯から金の移送を頼まれていたからなのである。西部劇版「運び屋」でござる。
 この辺りの小出しの種明かしもなかなか生かしている

彼等に加わるのが、荒くれだが何故かスコットを“保安官”と慕って来る二人組リー・マーヴィンとドン・バリー。しかし、マーヴィンが変なことを言いだしたので、二人は途中で追い出される。スコットは最終盤になって一味を誘き出す為にリードから金塊を奪い、砂漠で犯人たちが現れるのを待ち受ける、という流れ。話の構成から言って、マーヴィンらは最初の7人の一部ではないと思われる。
 リーダーのジョン・ラーチともう一人がスコットの前に現れたところをマーヴィンが妨害、独占しようと二人を殺した後相棒のバリーも平然と殺し、スコットと対峙する。

この最終盤では、たまに西部劇に出て来る岩山での銃撃戦がカット割りもなかなか良く、映画的に楽しめる。「シェーン」(1953年)のジーン・アーサーに相当するゲイルをめぐる愛情関係もドラマとして上手く機能している。

当時のスコット主演の西部劇は、型通り・陳腐・月並み・定石通り・紋切り型を地で行く作品ばかりだから、たまにしか映画を見ない人ならそこそこ楽しめるかもしれないが、他作との比較で見るような映画ファンや映画批評家にはうんざりさせられる作品ばかりであった中で、趣向も一通りある為に相対的に面白い、と言える次第。

監督のバッド・ベティカーは以降スコットとのコンビ作を7作作り一部で評価が高い。しかし、それらの中でケネディ脚本作の評判が断然良く、そこから判断してもケネディの腕前によるところが多いのではないか。

邦題は、強盗犯の7人を指していると推測される一方、原題"7 Men from Now"の7人は強盗犯ではないだろう。開巻以降スコットが直接的に関与する人数と考えると、from Now(これから) の意味と合う。洞窟の二人、東部男、マーヴィンたち二人、ラーチたち(主犯でありましょう)二人の総計7人でござる。

それにしても、主題曲が「シェーン」の“遥かなる山の呼び声”もどきに過ぎる。

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