映画評「学校」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1993年日本映画 監督・山田洋次
ネタバレあり

“ブルーレイ消滅危惧作品”シリーズその2。別にブルーレイ・ソフトとしてこの作品が消えるわけではなく、僕の録画したハイビジョン映像が見られなくなる可能性がある作品ということです。

山田洋次は人情的なお話を紡ぐことが多いから“お話の監督”と思っている人が多い。しかし、僕は彼こそ“技術の監督”と思っている。映像言語を誠によく心得ている作家で、カットの切り替えも構図・タイミングにおいて正確無比。過剰な技術を使う技巧的な監督が、“技術の監督”とは限らないのである。

さて、本作は、都合4作作られる「学校」シリーズ第一作で、山田監督と朝間義孝が共同で書いた脚本の完成度が高い。夜間中学に関係する人々を描く群像ドラマである。四半世紀前に観て以来二回目の鑑賞。

東京の夜間中学で教師を務める西田敏行は、在日のオモニ新屋英子、中国残留孤児の息子・翁華栄、不良娘・裕木奈江、勤労青年・萩原聖人、東北出身の初老男性・田中邦衛、不登校少女・中江有里、正体不明の神戸浩を教えている。ぞれぞれの事情を抱え、日本の社会に不信感を覚えている者が多い。

映画は或る冬の晩の国語(作文)授業を一つの時系列の軸とし、事ある毎に各人の学校との関りを示す過去が挿入される形で進行する。

休み時間に、秋に発覚した末期がんの治療に故郷で専念していた田中老の死去の報が届く。オモニは最後に勉強ができた彼は幸せだったのではないかと言う。萩原君は競馬しか楽しみのない彼のどこに幸せがあるのかと反論する。優等生の有里ちゃんが“幸福”の定義を訊ねる。神戸の発言に乗る形で西田教諭は“お金があれば幸せなのだ”と生徒たちに鎌をかける。そして結論らしきものが出る。幸福を知る為に勉強する(そしてそれが勉強できることが幸福ということではないか)ということだ。皆は少し幸せな気分になって学校を去る。

西田教諭と教えることに自信を失っていた女教師・竹下景子が相合傘で雪の中を歩き出す、という幕切れのクラシックな味わい。上手いもんです。
 その前に、定時制高校進学で妥協していた有里ちゃんが“昼間の学校に進学して大学は教育学部を選び、この夜間中学に戻って来る”と西田教諭に告げる場面も味わい深く、校長に呼ばれた教諭が同じ学校にずっと居る意味を説く序盤の場面と巧みにリンクさせている。

山田・朝間コンビは時に寅さんが言いそうな台詞を西田に吐かせる。しかし寅さんはどうしたって教師にはなれないわけだから、そうした台詞は教師としてではなく人間・黒井(西田の役名)として吐かれるのである。実は寅さんもとい渥美清も出演(「男はつらいよ」以外では最後の映画出演)している。記憶になかったので得をした気持ちになった(馬鹿だねえ)。

撮影も高羽哲夫が後に山田組の撮影監督になる長沼六男と共同で当たっているのを見ると、彼も体調が悪かったのだろう。彼は渥美より十か月早く旅立った。

「男はつらいよ」シリーズの終盤、渥美清の出番が少なくなっていた理由を、彼の逝去の報を受けて初めて気づいた。うかつだった。

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