映画評「卍」(1983年版)

☆☆★(5点/10点満点中)
1983年日本映画 監督・横山博人
ネタバレあり

谷崎潤一郎の小説「卍」は数年前に読んだ。一読して驚くのは、昭和初めにして同性愛を堂々たるテーマにしていたことである。
 確かにこの時代は江戸川乱歩など探偵小説作家群に引っ張られるエロ・グロ・ナンセンスの時代なのだが、文豪と言われる谷崎潤一郎が同性愛を本格的に扱ってもそれで世間が騒然としたという話は、少なくとも僕は、聞いていない。
 同性愛に、否定的にも肯定的にも、大した問題意識がなかったのだと思う。そこがキリスト教の欧米と違うところであり、日本に同性愛の伝統はないとのたまう一部自民党議員の不見識が明らかになろう(彼らは武士や僧侶の生活を同時代に書かれた古典で勉強したほうが良い)。

本作は、横山博人という1980年代に一部で注目された監督による、同作の二度目の映画化に当たるが、夫ある妻が若い美女と同性愛関係に陥るというコンセプトを戴いただけで、殆ど違う物語である。

刑事の夫・孝太郎(原田芳雄)を持つ主婦・園子(高瀬春奈)が万引きしたところを、妙齢美人・光子(樋口可南子)に見られたと思い、彼女の後を追いかけて家に押しかけて“告発しない”という念書を書かせる。それだけでは申し訳ないと家事でもしようと持ちかけるが光子が応じず、床にこぼれた牛乳を舐めろと彼女が園子に言ったことに端を発して二人は同性愛の関係に陥る。

原作では美術学校に通う上流階級の人妻が美人女子学生との噂が元で本当に同性愛関係に陥るという流れだから全然異なる。こちらは非常に安っぽいポルノ映画のような始まり方で、少々白ける。

横山監督は、僕の僅かな印象では、ATGに遅れてしまったようなタイプの純文学監督で、本作でも画面を真っ赤にしたり、園子が海に向かって砂を投げるショットを何度も繰り返したり、ATGっぽい雰囲気が色濃く漂う画面が多い。
 面白いと思ったのは、光子の墓と見立てた大きな墓石の左に光子、右に園子を配置し、右から左に画面を移動していくと再び園子がフレーム・インしてくるという見せ方を3回か4回繰り返すところ。意図は不明ながら、二人の“ごっこ”にカメラも付き合ったような印象を残す。

“ごっこ”と言えば、孝太郎を含めた三人の生活の末期に“取調べごっこ”というのをやり、互いの事実や心理を明かすという場面があるのだが、結局園子はここで光子が夫にも好意を抱いていることを知って儚んだのか、自死してしまう。原作では園子だけが心中に生き残り、お話を語るという体裁なので、映画はまるで逆になっている。脚本を書いたベテラン馬場当に何か強い意図があったのだろう。

監督がATG風に色々と努力しているのは認められるし、ATGがもてはやされた60年代末から70年代頭に見られたらもっと評判になったかもしれないが、その努力が文学的格調まで高められているとは言い難く、時に出て来る安っぽさが足を引っ張る。

今や白戸家の落ち着いたお母さん役の印象が強い樋口可南子が、二十代ではこんな可愛らしいアプレゲール(戦後派)的悪女を演じていたのだから、隔世の感ありです。

キリスト教が同性愛に厳しいという風に一般的に言われるが、文字通り厳しくなったのは産業革命で雇用者増が必要となった時代からであろう。ルネサンス期にはダ・・ヴィンチなど芸術家は多く同性愛者もしくは両性愛者であったし、「デカメロン」を読むと、僧侶の男色が日本同様にぼちぼち扱われる。恐らくペストといった強力な感染症などで人口減すると同性愛者が糾弾されるという流れがあったと僕は想像している。

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この記事へのコメント

モカ
2020年02月26日 17:15
こんにちは。

これは映画も観ていませんし本も読んでおりません。
昨日、谷崎を4巻所有と書きましたが3巻でした。 
この全集で一人で3巻出ているのは谷崎と漱石だけですが、谷崎は漱石に較べると少し文豪っぽくないですね。 やはり内容のせいでしょうか。

>文豪と言われる谷崎潤一郎が同性愛を本格的に扱ってもそれで世間が騒然としたという話は、少なくとも僕は、聞いていない。

 手持ちの「鍵」(昭和43年発行)の解説(井上靖)によると
中央公論に連載された時点でかなりセンセーショナルな事件だったようで、芸術か猥褻か国会でも問題になり、作家や評論家の間でも賛否両論渦巻いたようです。国会議員は半世紀前も今もお変わりないようでございます。
 さすがに裁判沙汰にはならなかっただけましですが。

 

 

 
オカピー
2020年02月26日 22:30
モカさん、こんにちは。

>モカさん、こんにちは。

>少し文豪っぽくないですね。やはり内容のせいでしょうか。
谷崎潤一郎は、僕曰く“大変変態、略して大変態”ですからねえ。「細雪」も書きますし、マルキ・ド・サドほどではないですけど(笑)。

>中央公論に連載された時点でかなりセンセーショナルな事件だったようで
「卍」ではなく「鍵」ですね。
 僕の感覚では戦前の「卍」ほど戦後の「鍵」は問題になるとも思えないのです、どういう感覚なんでしょうかねえ。戦前の方が余程自由だった?
モカ
2020年02月27日 17:39
こんにちは。

「鍵」が昭和31年、「卍」が昭和3年から4年にかけて連載されたようですね。 
親や祖父母に聞いた話によると、昭和の初めまでは不景気ではあったけれど比較的自由度の高い世の中だったようです。
やはり226以降から思想統制とかがきつくなってきたらしいです。
ウィキによると「卍」が雑記「改造」、「鍵」が「中央公論」に連載、この辺が”鍵”でしょうか。
 憶測ですが、昭和初期に政治思想的な傾向のある雑誌を購買して読む人口と戦後の少し落ち着いてきた時代に文芸誌を買って読む人口は随分違っていたんじゃないでしょうか。
 覚えたての言葉を使えば戦後の中央公論のほうがMOR?
 その分、話題になりやすかったとか?

 私の手持ちの谷崎3巻に「卍」が入っていないのも意図的に外されたのかもしれませんね。
 
 谷崎というと伊豆辺りを連想しますが、京都にも何年か住んでいたので意外と近くに住居が残っていたりお墓があったりします。谷崎が名付けた「春琴堂」という書店も京大の近くにあって、直筆で春琴堂と書かれた額が飾ってありました。

 最近、コロナのせいで観光客が激減しているらしいので、チャンスというのもなんですが、観光地巡りをしようかなぁと思っています。 何せ金色に塗り直してからの金閣寺も見ていませんので・・・
 元々、地元民は誰に聞いてもほとんど観光地に行かない傾向にあるようです。 特に最近の外国人の押し寄せ方は尋常ではなく普通の生活圏の交通機関まで脅かされて大変でした。
「観光公害」が最近あった市長選挙のキーワードみたいになってましたが、その割に選挙が済んだら、観光客激減と騒いでるみたいです。 インバウンド効果で潤っていた業界、特に宗教法人!
税金払ってほしいです。
 すいません、話逸れましたね。日頃のうっ憤が噴出(笑)
オカピー
2020年02月28日 14:50
モカさん、こんにちは。

>昭和の初めまでは不景気ではあったけれど比較的自由度の高い世の中
多分儒教的な、国民の親とも言うべき天皇に対する不敬や、女性の姦通への厳しさを除くと、そうだったと、戦前の映画を見、本を読んでも感じますね。

>やはり226以降から思想統制とかがきつくなってきたらしい
「木戸幸一日記」を読んだ時、226以前の記述に「(天皇や自分が)心配しているのは左翼ではなく右翼」とあり、その他の記述と併せて考えると、僕らが勝手に想像する以上に当時の人々は思想の自由を享受していたのでは?という印象を持ちました。
 彼や昭和天皇の心配した通り226を契機に軍部が台頭し、自由思想がぐっと厳しく取り締まられるようになっていく流れがよく読み取れる日記です。

>京都にも何年か住んでいたので
「卍」は、関西弁の一人称で語られるのは、その時代に研究した成果でしょうかねえ。

>コロナのせいで観光客が激減しているらしいので、チャンス
僕もそう思ったんですよ。しかし、今はまだ余裕がないので、結局はそのチャンスを行使できない。残念。

>地元民は誰に聞いてもほとんど観光地に行かない傾向にあるよう
京都に限らず、どこでもそうですね。

>特に宗教法人! 税金払ってほしいです。
京都の場合はレベルが違うでしょうが、一般のお寺などにもそうして欲しいですよ。両親が相次いで亡くなった時に、姉とそんな話をよくしました。