映画評「雪の華」

☆☆(4点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・橋本光二郎
ネタバレあり

1960年代歌謡映画が流行り、70年代になって森進一のヒット曲を主題にした「盛り場ブルース」などをTVで見た記憶がある。歌っている歌手も時々顔を見せるケースが多かった。70年代の「妹」「赤ちょうちん」(いずれもかぐや姫の曲から)なども一種の歌謡映画と言えるのだろう。

そんなことを思い出したのは、2005年くらいまで邦楽・洋楽問わず新しい曲も聴いていたので僕も知っている中島美嘉の代表曲「雪の華」をモチーフにした映画と聞いたからである。
 しかし、これは甘い、甘すぎる。棺桶に片足を突っ込みかけている初老が見ると、虫歯になって歯無しになりそうだ。デート映画に良いかもしれませんがね。気を取り直してごく簡単にお話(歯無しではないですぞ)。

何だかよく解らない難病を患う妙齢美人・中条あやみが、ひったくられたバッグを取り返してくれた好青年・登坂広臣に“(助けを求める)声を出せ”と励まされる。後日偶然見つけた彼を追いかけ、彼の勤める小さなスナックならぬ喫茶店に入る。彼は先日のことに気付かない。しかし、彼女は“声を出せ”と言われたことを思い出し、喫茶店店主が必要とする“100万円を出すから、恋人になってくれ”と彼に声を掛ける。
 かくして疑似恋人関係になった二人は、案の定次第に本気になっていく。それでも彼はその気を彼女には見せない。
 担当医師から“入院が必要だ”と言われた彼女は、少女時代からの夢である“オーロラを見ること”を実現する為にフィンランドに一人出かける(その前に夏に二人で一度出かけている)が、偶然彼女を病院で見かけた登坂君は真相を知って彼女を追う。

完全に少女漫画、それもかなり低年齢層向きのそれである。子供の頃姉の少女コミック誌を盗み読みしたことを思い出す。こんなお話が無数にあった。あるいは韓国の恋愛映画を思い出させる。

色々弱いが、病気の正体がまるで解らないのが特に良くない。最近の難病映画はこういうところがしっかりしていたのだが、とにかく病気であればなんでも良いといった態度では頭を多少は使いたい観客が挨拶に困る。
 逆に、多少良いのはヒロインが“長生きできそうだ”と言ったところで終わることである。難病映画でも死ぬまで見せる、或いは死ぬのを前提とする必要はない。脳腫瘍の少年に好きなことをさせたら直ってしまったという奇跡的な例が数例あるので、そういうことを期待させるではないか。

登坂君は若い時の元木大介に似ていますな。

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この記事へのコメント

浅野佑都
2019年12月30日 11:10
>1960年代歌謡映画
ビートルズの「ヤア!ヤア!ヤア!」を形だけ真似したタイガースやスパイダースのGSヒット曲の映画もそれに入りますかね。

最近、と言っても、ここ20年くらいの邦楽には滅法弱い僕は、「冬の華」も初めて聞きましたが・・これはなかなか良いメロディではないですか!
ただ、詩があまりよくない・・。今の若い作詞家?はみなそうですが、「ずっと」とか「きっと」といった副詞を安易に使いすぎてます。あきらかに、音符の穴埋めでしかない・・。

80年代頃から感じていたのですが、僕が比較的、良い詩を書くと思っている来生えつこの「セーラー服と機関銃」(字幕なしで僕が歌える持ち歌の一つでもあります)には、
♪希望という名の重い荷物を
 君は 軽々と きっと持ち上げて笑顔  見せるだろう
という歌詞がありますが、これも穴埋め的でよくないですね・・。
昔の作詞家は、文字通り命を削って書いてました・・。

もともと、日本の歌は、一つの音符に一つの語しか入れないから、入れる言葉は限られるし、その中でいかに素晴らしい詩を付けるかがプロの腕の見せ所でした。60年代にフォークが登場して、一音符にいくつもの語を入れるようになり「字余りソング」と揶揄されましたね・・。
初期の岡林信康とか加川良などはまだ粗削りでしたが、陽水、拓郎になるとグッと洗練され、もはや誰も、字余りなどと言わなくなりました・・。

かぐや姫の「神田川」は喜多條忠作詞ですが、「♪若かったあの頃 何も怖くなかった ただ あなたの優しさが怖かった」
という部分を、子供の頃の僕は、いつかは消えてしまうかもしれぬ今の幸せを失うことが怖いのだ、と単純に思っていました。
年取って、同じかぐや姫の「22歳の別れ」のフレーズのように、目の前の小さく収まった幸せに縋り付いている自分と、そうさせてしまう男の優しさが、愛しくも怖いのだ‥と思うようになりました。
伊勢正三の詩は、70年代フォークシーンでも、ダントツに素敵だと思います・・。
オカピー
2019年12月30日 21:37
浅野佑都さん、こんにちは。

>タイガースやスパイダースのGSヒット曲の映画もそれに入りますかね。
入るでしょうね。演歌(当時はムード歌謡という感じ)のそれとは、着想の順番が違うと思いますが。

>「ずっと」とか「きっと」といった副詞を安易に使いすぎてます。
これは聴く人が好むということもあるでしょうねえ。この二語は特に若い女性の琴線を打つような気がします。
実際、永井真理子が「ZUTTO」といいう曲を歌っています。調べてみたら1990年の発表ですね。

>日本の歌は、一つの音符に一つの語しか入れないから、
昔、日本の歌謡曲を英語に訳して歌おうとすると、音が余ってしまうので、そのことを痛感しましたね。元々無謀で意味のない試みですが(笑)。

>いつかは消えてしまうかもしれぬ今の幸せを失うことが怖いのだ
僕は今でもそうだと思いますよ^^;

>目の前の小さく収まった幸せに縋り付いている自分と、
>そうさせてしまう男の優しさが、愛しくも怖いのだ

なるほど。
ナイーヴな分析ですね。
i伊勢正三と喜多條忠との間で女性心理に関して共通認識があったのかもしれませんね。


>伊勢正三の詩は、70年代フォークシーンでも、ダントツに素敵だと

僕の友達の細君が伊勢正三がご贔屓で、僕の家を訪れる時に彼の曲を集めたカセットテープを持って来てくれました。
実に頭が良く言語感覚に優れた彼女は、その辺りのナイーヴさに惹かれたのでしょう。