映画評「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2017年アメリカ映画 監督ダニー・ストロング
ネタバレあり

J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読まずに20世紀のアメリカ文学は語れまいと思い、数年前に読んだ。戦前までの文学に慣れている僕にはピンと来ないところもあったが、若者が孤独に陥っていく心理を描いて人気の理由が解るような気はした。
 本作はそのサリンジャーの学生時代から有名な隠遁生活に入るまでの半生を描いた伝記映画で、出来事を追うのではなく徹底的に作家の心情を綴っているのが現代の作品らしい。

1939年、コロンビア大の聴講生として文学教授ウィット・バーネット(ケヴィン・スペイシー)を授業を受けていた20歳のサリンジャー(ニコラス・ホルト)は、彼が創刊した文芸誌“ストーリー”に掲載されることを目指すが、尽く退けられる。試練の後に最初に見せた「若者たち」が採用され、注目を浴びるが、教授が約束した選集の出版が実現する前に彼は欧州戦線に出征することになる。
 戦地から無事生還するものの戦場での体験がPTSDとなり、執筆することができない。バーネットが財政等の事情で選集の出版ができない為に彼への信頼も失う。遂に仏教に救いを求め、そのセラピーの効果で少しずつ書けるようになり、やがてバーネットの提案した長編「ライ麦畑でつかまえて」の出版に漕ぎつける。これは実は出征中に書いたものである。
 しかし、若者の孤独を描いたこの代表作により彼は勘違いした読者ファンに周囲をうろつかれるようになり、それを嫌ってニューハンプシャーの森の中に隠遁するのである。そこで書かれた本は「ナイン・ストーリーズ」「フラニーとズーイ」として出版されるが、1960年代半ば出版を目的とする執筆を止める。

映画の序盤で、後にチャールズ・チャップリンと結婚するウーナ・オニール(ゾーラ・ドイッチ)との交際が出て来るのが興味深い。チャップリンと結婚するのは文芸ファンで映画ファンである僕には解り切っているのだが、彼女が20世紀アメリカ最大の劇作家の父ユージン・オニールと没交渉的であると言っていたのには少々吃驚。僕が勝手に大人しい女性と想像していた彼女が意外にも突発的な行動をするのも面白い。面白いと言っていられるのは傍観者の僕らだけで、出征中に結婚されたサリンジャーにしてみればたまったものではなかったはずだ。

「ライ麦畑」の成功の後に知り合って結婚したクレア・ダグラス(ルーシー・ボーイントン)とは一男一女を儲けるも離婚をする。しかし、本作に出て来る女性で重要なのは母親と、雑誌社との仲介役をしていたドロシー・オールディング(サラ・ポールスン)である。この二人なくして作家サリンジャーはなかったと言って良い。恐らく彼が信用した数少ない大人であろう。

幾つかの雑誌社に翻弄されるうちにサリンジャーは大人社会のインチキを痛感するようになる。雑誌社との交渉場面を見ると、彼は自分を曲げることをしない。妥協しない人間は現代社会では孤独に陥る。彼のそうした心情が(その前に書かれたのが実際とは言え)サリンジャーの分身である「ライ麦畑」の主人公ホールデンに現れ、若者の共感を呼んだのである。

文学ファン向けの映画ではあるが、純粋で妥協できない少年の孤独という点に普遍性があるので、さほどの文学ファンでなくても一定の理解力があれば楽しめるのではないだろうか。

勘違いしたファンがサリンジャーの前に現れて妙なことを言う場面は、マーク・チャップマンがジョン・レノンを暗殺した事件を逆に投影したのではないか、という気がする。彼は殺害時「ライ麦畑をつかまえて」を持っていた。

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この記事へのコメント

モカ
2019年12月26日 13:49
こんにちは。

これはウォッチリストに入れていますが、まだ見放題ではないので未見です。
 
ライ麦畑、懐かしいです。1969年版を探し出してきたら本の持ち主と同じくらいボロボロでシミだらけになってました! 

それにしても本を読む際の動機付けが違いますね。
片や「20世紀アメリカ文学」で片や「伊丹一三の理想の女性の条件の一つがライ麦畑が愛読書」なのでミーハー気分で読んでみただけ、という・・・
でもね先生、これはせめて二十歳までに読まないと・・・
ホールデンって確か、頭の半分が白髪でしたか・・・
半分大人で半分子供という中途半端な年頃の純粋さと、通じないとわかっていても屁理屈こねたいお年頃? の頃に読んだら共感しすぎて逆に当たり前の話でしかないような気がしたり。

私は当然野崎孝訳で読みましたが最近春樹訳も出ていますね。
当時としては野崎訳はなかなか画期的で評判だったようです。
野崎訳では今となっては死語のような「奴さん」とか言ってますが、テンポの良い語り口調なのでホールデンが入院したといってもまさか精神科だとは驚きでした。
単に放蕩疲れで肋膜にでもなったのかと思って読んでいたら、精神科に連れて行かれてて、周りの大人のほうがどうかしてるんじゃないかと十代のモカは思いましたよ。

>マーク・チャップマンがジョン・レノンを暗殺した事件を逆に投影したのではないか、という気がする。彼は殺害時「ライ麦畑をつかまえて」を持っていた。

 このエピソードはいかにもですね。とってつけたような・・・
 ジョン・レノンはホールデンの資質を持ってますものね。
オカピー
2019年12月26日 22:30
モカさん、こんにちは。

>でもね先生、これはせめて二十歳までに読まないと・・・
どうもすみません。
十代の頃はヘミングウェイ、スタインベック、フィッツジェラルド、フォークナーでアップアップでしたからね(意味不明)。
フォークナーは「サンクチュアリ」だけで、大人になってから読んでもよく解らない作品ばかりということを考えると解ったのかどうか。でも、何故か難しかったという記憶がないんですよね。

>私は当然野崎孝訳で読みましたが最近春樹訳も出ていますね。
僕も野崎訳。
村上春樹は、野崎孝に恨みがあるのか(笑)、「偉大なギャツビー」も訳していますよね。彼の場合は、定着した邦題を変える癖もあって、それもカタカナが多く、そういうところは余り好きじゃない。僕は「さらば愛しき女よ」を「さよなら、愛しい人」という邦題にしたものだけ読んでいます。
そもそも彼自身の作品も「海辺のカフカ」しか読んでいませんしね。心療内科に通っていた不調期に読んで、病気が悪化しました(笑)。

ところで、最近の純文学は「僕」か「私」の一人称小説が圧倒的に多いのですが、春樹のせいでしょうか?
モカ
2019年12月27日 11:43
おはようございます。

>十代の頃はヘミングウェイ、スタインベック、フィッツジェラルド、フォークナーでアップアップでしたからね(意味不明)。

 何となく「意味」分かります。(笑)
 フォークナーの古い文庫本を引っ張り出してきましたが、この
161㎤(定規で計りました)の本の中にアメリカ南部のドロドロが詰まっているんですもの、そりゃ溺れそうにもなるというものです。
スタインベック以下他の方々も推して知るべしでアメリカ文学って意外に暗いですね。
南部も暗いし、中西部の農民も暗いし、ニューヨークのユダヤ系も暗い。(笑) もうみんな苦労の連続で、子供の頃にみたアメリカのホームドラマのような世界はどこにもなくて、結構カルチャーショックを受けましたね。
現実の暗さを忘れるためにアメリカ映画はハッピーエンドが大好きだったんでしょうか?


村上春樹は「ダンス ダンス ダンス」に至る初期3部作や
「蛍」の入っている短編集とかは面白く読みましたが、だんだん鼻についてきて「ねじまき鳥」を読了できなくて、以後長いお別れとなってしまいました。

以前は、新刊が出たら本屋で1ページくらい立ち読みして、「相変わらずなやっちゃ」と、別れた男のその後の動向を知りたがる嫌な女のようになっていましたが、最近はそういう興味さえ無くしてしまいました。

最近の日本の純文学なるものをほとんど読まないので、一人称問題は判りませんが、村上春樹登場以降、春樹もどきがたくさん出てきたとはよく言われていましたね。

春樹の翻訳本って登場人物に「やれやれ」とか言わせてるみたいで、そんなの読んだらこっちこそ「やれやれ」やわ。
翻訳するときは黒子になってほしいです。
スヌーピーのチャーリー・ブラウンが口癖のように「やれやれ」
(Sigh! ためいき、と訳されることも)と言ってましたが、春樹、
顔がチャーリー・ブラウンに似ているからこのセリフが好きなんだと推測しています。

そういえば、春樹訳の「心臓を貫かれて」は超暗かったです。
モルモン教の起こりから始まる上下2冊は力作ですが取り扱い注意本です。読後の落ち込み具合が相当なので、むやみお勧めはしませんが立ち向かう勇気があれば是非読んでみてください。
私は読後、背表紙を見ただけで気が滅入るので処分してしまいました。 さすがにこの翻訳では「やれやれ」は封印していたように思います。
浅野佑都
2019年12月27日 14:49
 高校1年の時に、初めて銀座の今は亡きイエナ書店で買った洋書がこれでして、辞書を引き引き、やっとこさ読了しても当然ながらよくわからず、和訳版を前橋の書店で取り寄せて読んだらさらにわからない・(笑)
その後、わかる必要などない、認めればいいのだ、ということを学ぶも、アメリカ文学に関してはケルアックの「路上」やバロウズのようなSFの流れに行ってしまったのでサリンジャーはそれっきり・・。

「ライ麦~」と良く対比されるのが、太宰治の「人間失格」ですが、太宰自身がいうように、何者にもなれなかったから小説家に成るしかなかった太宰のナルシシズムが内向きなのに対し、サリンジャーのそれは外の世界に向けて攻撃的に拡散されていますね・・。僕自身は、中学時代は太宰の方に共感しましたが・・。

>(モカさんの)伊丹一三の理想の女性の条件で「ライ麦畑で」が愛読書・・
他にも、バロック音楽が好きでアンマがうまく、天涯孤独でルーの下着、エルメスのハンドバッグ、シャルル・ジョルダンの靴を愛用etc・・などありました(笑)
これを読んでイラっと来ない女性は少ないでしょうが、彼の場合はほとんどが逆説的ですから努々、まともに受け合ってはならないですね!その証拠に細君には、主張とは真逆のタイプの宮本信子を選んでいますね(笑)

映画「マルタイの女」でも、伊集院光演じる地方の所轄署の刑事が出前を取る際に読んでいるのが「ライ麦畑」で、その後に、犯人とライ麦?畑のあぜ道で」格闘するシーンもありますから、サリンジャーに関しては偽りなく好きなのでしょうね・・。

映画の方は、主人公の恩師のケヴィン・スペイシーが良かったですね!
自らの弱さもさらしながら、若者を真摯に導こうとする教師役は「ペイ・フォワード」でも好演しており、人間の良心を信じたくなるような演技でした。

 伊丹一三で思ったのですが、最近、なにやらジャーナリスト志望の女性とTVプロデユーサーとの民事裁判にかこつけて、鬼の首でも取ったようなな外国メディアの日本叩きの記事を多く見ます(曰く、日本社会は旧態依然とした男性優位である云々)
グレタちゃんではないですが「あんたたちよくも言えたもんだね!」であります(笑)
昭和以前はともかく、欧米の方がよほど女性差別が甚だしいでしょうに・・。

欧米の家庭のほとんどは、お金は男性が管理するかもしくは、妻夫別々に財布をもって支出も折半なのに、日本の多くの家では、妻がお金を管理して夫は小遣いをもらうのが普通(最近の若夫婦は財布別々も多いとか)。
子どもの教育も、夫よりもの妻の影響力が強い・・。
女性の管理職が少ない理由は、役割分担の問題であり、僕の周囲でも状況が許せば家庭中心の生活に喜びを見出したいという人は多い。やはり、女性は出生、子育てという崇高な使命も大きいですからね・・。
男性に伍して社会的責任を取ることを、あまり望まない女性もいるのです。
もちろん、バリバリ活躍したい女性も大いに結構!

壺阪霊験記のように♪妻は夫をいたわりつ夫は妻を慕いつつ~で、昔から日本の家は上手くやってきた・・今の方が崩れかけてるかもしれませんよ?

オカピー
2019年12月27日 22:17
モカさん、こんにちは。

>161㎤(定規で計りました)
推定するに、14X11.5cmですね。暗算は早いです。

>アメリカ南部のドロドロ
そう南部はドロドロ。オニールの戦後の戯曲なんかも南部のドロドロを結構扱っています。
で、僕はアメリカ文学やアメリカ映画のドロドロをまとめて、舞台となる場所に関係なく、“南部もの”と称しています。T・ウィリアムズの「欲望という名の電車」なんかも僕の“南部もの”に入りますね。

>「ねじまき鳥」を読了できなくて
すると結構前ですね。僕の中ではこれは初期に入る作品なんですが。

>一人称問題は判りませんが、村上春樹登場以降、春樹もどき
僕も実際には読まないわけですが、新聞に毎月一回の書評がありまして、あらすじを読むと主人公が尽く“僕”“私”なんですよ。
19世紀の欧州文学をご贔屓にしている当方としては、神の視点で書くのが小説と思っているので、読む気が起こらないですね。芥川賞受賞作品シリーズがやっと70年代に入りかけていますので、これで傾向を探ってみます。

>顔がチャーリー・ブラウンに似ているから
あははは。
実際そうなのかもですね。

>「心臓を貫かれて」
調べて観ました。ギルモアという元死刑囚のお話とか?
案外大丈夫かもしれませんが、時間がないかなあ。
ギルモアと言うと、ピンク・フロイドのギタリスト、デーヴィッド・ギルモアを思い出す僕ですが(笑)。
オカピー
2019年12月27日 22:45
浅野佑都さん、こんにちは。

>ケルアックの「路上」
最近の訳は「オン・ザ・ロード」というタイトルになっていますね。読書予定に入っています。「路上」というと、若山牧水かと思ってしまいます。


>太宰治の「人間失格」
>太宰のナルシシズムが内向き

僕も太宰の方が解るなあ。

>伊丹一三の理想の女性の条件
何で皆さん、そんなに伊丹十三(一三)に詳しいの?
モカさんは伊丹がお好きなようですが。

>映画「マルタイの女」でも
確かにそんなところがあったような気がします。
 実は一昨日観た「マイ・プレシャス・リスト」には「フラニーとズーイ」が結構重要なアイテムとして出て来て、サリンジャー人気は僕の想像以上ですね。
 ここでも僕は“遅れてきた青年”か。

>欧米の方がよほど女性差別が甚だしいでしょうに・・。
ボーヴォワールが「第二の性」で徹底的に男性批判をやっていますね。フランスでは1970年くらいまで配偶者のいる女性は口座が持てなかったはず。英国では20世紀初めまで女性には相続権がなかったですしね。

この手のインチキ(サリンジャーばり)は日本の政治家たちにも多く、自民党議員の一部に“日本にはLGBTの伝統はない”なんて言っていますが、大嘘。これは明治時代に、産業革命で人口増が望まれるのに同性愛は人口増加に寄与しない為にバッシングされている欧州から輸入されたキリスト教的な考えですよ。欧州の考えを日本の伝統などと言う彼らが保守を気取るのが許せない。

>壺阪霊験記のように
小津安二郎の戦前の名作「淑女は何を忘れたか」を見ると、細君が亭主を尻に敷いている。他の女性も男性の前で委縮していない。戦前の男女関係は、僕らが想像しているものとは全く違う可能性が高いですね。
モカ
2019年12月28日 21:49
こんばんは。

ライ麦畑が太宰と並べて評されているとは知りませんでした。
どちらかと言うと私の大好きな映画「ゴースト ワールド」との類似を感じますが、私の考えることなんて大抵もう既に誰かが指摘してるはず、と検索したらやはりいっぱい出てきました。 
アメリカでは「ゴースト ワールド」の原作コミックはライ麦畑の再来と言われていたようです。

 ついでに村上春樹の「やれやれ」とチャーリー・ブラウンの関連も検索したらあっちこっちで指摘されていました。
 誰の考えも似たようなものってことですね。

伊丹十三の本は大体読みましたが一番印象に残っているのは、「主婦」についてです。 宮本信子さんがお仕事に出かけた後、二人の男の子(下の子がまだ赤ちゃん)と何日間かお留守番をするのですが、そりゃまぁ大変な訳です。
で、ふと気が付いたら子供が寝ているつかの間に、ため息ついて台所で羊羹食べてお茶のんだりしてしまう。
主婦というとヒステリックに子供に怒鳴り散らしているのは「女」だからだと世間では思われているけど、違うよ、
あなたも3日やってごらんなさい、ああなりますよ、ですって。
 その通りなんですよね!

映画監督としての伊丹十三はあんまり映画を観ていないので未知数ですが、役者と文筆家としての伊丹十三は大好きです。

オカピー
2019年12月29日 18:41
モカさん、こんにちは。

>私の大好きな映画「ゴースト ワールド」
謂わば、「ライ麦畑」の少女版といったところでしょうか。
なかなか面白い作品でしたね。スティーヴ・ブシェミをきちんと認識した映画。不気味なので、あの映画以来スティーヴ・ブキミと呼んでいました。

>あなたも3日やってごらんなさい、ああなりますよ、ですって。
僕もそう思いますよ。

>映画監督としての伊丹十三
僕は、映画監督としての彼が邦画界に残した功績は大きいと思っています。彼は一つのことを徹底して調べ上げて脚本を書くので、情報が満載。そこで彼の映画を“マニュアル映画”と名付けました。彼以降暫く日本で“マニュアル映画”が流行った記憶があります。

ところで、「ライ麦畑」で僕が一番印象に残っているのは、主人公がガールフレンドと一緒にヒッチコックの「三十九夜」を十回以上も見たと言うところ。
 あの映画ではミスター・メモリーという記憶男が重要なカギを握っているのですが、それをもじってか、主人公は“彼女(ジェーン?)はこの映画をすっかり暗記している”と言うんですよ。「三十九夜」はご贔屓作品でしたから、この文章は面白いと思いましたね。