映画評「マダムのおかしな晩餐会」

☆☆★(5点/10点満点中)
2016年フランス映画 監督アマンダ・ステルス
ネタバレあり

ロシアの作家で思想家のゲルツェンが19世紀後半に発表した長大な自伝「過去と思索」の中で興味深いことを言っていた。“ロシア人やドイツ人はウェイターを見下すが、イタリア人は対等に扱う”(主旨)。それを思い起こさせる映画である。
 日本人も仕事の貴賤という意識は相対的に低いと思う(開戦直前の日本を主たる舞台にした山田洋次監督作「小さいおうち」を見よ)が、現在日本では“お客様は神様です”思想が広まってサーヴィスを受ける方の態度が概して大きくなっているのではないか。

パリに暮らすアメリカ人上流階級夫婦。妻トニ・コレットは呑気なものだが、亭主ハーヴィー・カイテルは実は生計が火の車で、所有するカラヴァッジョを売ろうと企み、そこで鑑定家マイケル・スマイリーを含む12人の知人を招く晩餐会を催す。亭主のフランス語教師もいるので富裕連中とばかりとも言えない。セレブ(有名人)は英国の市長くらいだ。
 日本ではすっかり金持ちをセレブと呼称するのが定着してしまったが、僕は間違っても使わない。横文字を使うならリッチで良いと以前言ったが、リッチは日本では豪華という意味になっているのかもしれない。

ところが、夫が先妻との間に儲けた作家の長男トム・ヒューズが加わりお客が13人となった為細君は縁起が悪いとメイドのロッシ・デ・パルマをゲストに無理やり加える。ところが、隣に座ったスマイリーがこの鼻の大きなスペイン出身の中年女性に惚れ込んでしまう。ヒューズが彼女をシチリアの王族の血を引く貴族と言ったのも影響した可能性が大。鑑定家だから格付けが好きだろう。
 夫婦は早めに正体を明かすという手も考えるが、絵を売る前はまずいだろうと放置する間にどんどん進展してしまう。これが面白くないのがまだ若くて魅力あると思っているのにセックスレスの日々を送る細君で、鑑定額が出た後スマイリーに告げてしまう(その前にロッシが自ら告白したのを誤魔化したにもかかわらず)。
 それ以来彼から連絡が入らなくなったロッシはその原因を知り、自ら家を出ていく。しかし、母と彼女をモデルにした小説を書いているヒューズの横に座ったスマイリーは“男が女を追いかけるハッピーエンドが良いよ”と言う。

この後彼が実際にロッシを追いかけるかどうかは両義的で定かでないのだが、少なくとも鑑定家は身分差を乗り越える境地に達したと思って良いのではないか。そうであるならば、女性の鑑定も一流になったということだ。

基本的に皮肉っぽい展開ぶりを楽しむべき戯曲的にこじんまりした作品。相当数の欧米の戯曲を読んでいる僕にはそれなりに面白かったが、日本の一般観客にはなかなか厳しいのではないか。欧米人の心底に根強くはびこっている身分に対する意識がよく出ている点が興味深く感じられるものの、それに気づかなければピンと来にくいところが多いと思われるからである。

日本では相変わらず“これは喜劇ではない”という表現が多い。内容がシリアスか否かは欧米人にあっては“喜劇”の判断材料ではない。定義と言えば、“桜を見る会”をめぐる騒動で、政府は言葉に詰まって遂に“反社会的勢力の定義は定まっていない”と言ってしまった。政府は、自ら定義したではないかと問われると、今度は“あれは定義ではなく指針である”と言いつくろった。正に喜劇だ。

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