映画評「荒野の処刑」

☆☆(4点/10点満点中)
1975年イタリア映画 監督ルチオ・フルチ
ネタバレあり

グロテスクなホラー映画でお馴染みのルチオ・フルチ監督の本邦劇場未公開のマカロニ・ウェスタン。と言っても、ブームがとうの昔に終わった後の1975年製作なので、相当な変化球である。

たまたまTV番組表で目に入り急遽観ることにしたが、食指を動かされたのはルチオ・フルチではなく、爽やか美人リン・フレデリックが出演しているからである。この作品の彼女は、娼婦役のため細い書き眉毛にしている為娼婦役の似合うティナ・オーモンのような感じに見えて余り良くないが、それでも可愛らしいショットは相当ある。
 鳴かず飛ばずの時代に仕方なく出演した感じで、日本で注目されるのはこの少し後「熱愛」(1975年)「さすらいの航海」(1976年)によってである。ピーター・セラーズと結婚して事実上の引退、そして未亡人として財産を相続したが、それが仇となってらしくアル中になって39歳で亡くなった。とても外見とは似つかない最期だった。

さて、本作のお話に参りましょう。

賭博師ファビオ・テスティが一稼ぎしようと訪れた町で、保安官の懐柔に失敗して投獄され、その夜荒れ狂った町人により悪党狩りが行われる。運よくあるいは殺される価値がなかったからか、彼や同房で知り合った娼婦リン、アル中の浮浪者マイケル・J・ポラード、墓堀人夫の黒人ハリー・ベアードは襲われず、追放されて荷馬車で荒野を彷徨ううちに、腕の良い猟師と自称する無法者トーマス・ミリアンを雇うことにする。しかし、男はすぐに悪党の顔を出して、4人を縛った挙句に妊娠中と判明したリンを強姦し、ポラードに重傷を負わせて消えていく。ミリアン一味は、4人が前に親切にしてもらった宗教グループを皆殺しにする。
 その残虐な痕を見出したテスティはポラードと優しき人々の為に復讐を誓う。一応の宿とした納屋の中でポラードは死に、ベアードは発狂する。二人で旅を続けるうちにリンが出産の苦しみを訴え、再会した元牧師に案内され、不法者が集まって成立した町に向かう。
 荒くれ者の男たちが何故か出産に心を動かされ、彼女の出産に最大限のケアを施す。子供は無事生まれるが、リンは死んでしまう。男たちを信頼できると見たテスティは、復讐の旅に出る。

一言で言うと、“ご挨拶に困る”映画である。作品の性格もベクトルもはっきりしない、ほぼ出たとこ勝負的な展開で、中盤までのフルチらしい残虐趣味が、終盤には神父たちが子供を育てる「汚れなき悪戯」状態に代えられる。微笑ましいと言えば微笑ましいが、“何じゃこりゃ”でござる。

とは言え、無碍に扱いたくないのは、本作が人間性の寓意劇を目指したのではないかと思われるからである。旅の仲間を形成する四人は人間の屑かもしれないが悪党ではない人々で、そこへミリアンが悪の権化として出て来る。一方で、善の塊のような宗教グループ、或いは出産に遭遇して人間的に目覚めていく悪党たちがある。善悪をグラデーションのように見せた感じで、本当にそれが狙いであるのならばなかなか興味深い。

ルチオ・フルチのタッチは、60年代~70年代のイタリア映画らしくズームの使い方にくどいところがあり、好かない。音楽は、一向にマカロニ・ウェスタンらしくなく、プログレッシブ系のフォーク・ロックのような感じであるのが個人的には好みである。

ラテン文学に根強く残っている、悪漢小説の香りがする。

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