映画評「ここは退屈迎えに来て」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・廣木隆一
ネタバレあり

山内マリコという作家の映画版は「アズミ・ハルコは行方不明」に続いて二作目。

2004年富山。高校3年の橋本愛は友人の柳ゆり菜に導かれる形で、サッカー部のキャプテンで女子の憧れの的である成田凌に思慕を寄せるが、卒業と共に上京する。片や、彼をステディな恋人にしているつもりの門脇麦は地元に残るも卒業後に彼に振られる。彼と付き合っている時はいつも助手席にいるので免許は必要ないと思っていたが、振られて免許を取る気になる。
 9年後故郷に舞い戻ってタウン誌などのフリーライターをする愛はゆり菜と成田の再会に付き合う為に、カメラマン村上淳の車で彼が教官を務める教習所へ向かう。しかし、ゆり菜は成田が愛と仲良く話すのを見て悄然となり、愛は彼が名前を憶えていないので憮然と(がっかり)する。
 そんなつまらない男になった成田は、高校時代に中年男と援助交際以上の関係に陥っていたらしい岸井ゆきのと結婚したことが判る。

退屈だの、何が言いたいか解らないというご意見が多いが、お話を再構築すれば必ずしもそんなことはない。
 近代小説の一大テーマと言っても良い閉塞する地方からの脱出がモチーフとなっている。その代表として映画好きの原作者が選んだのが「ティファニーで朝食を」である。作者はその是非について結論を出していないが、愛嬢もモデルとして活躍していた内田理央も故郷に戻って小さな幸せを探しているところを見ると、富山出身の彼女としては地方に残るか若しくは戻ってほしいと願っているように感じられる。
 もっと文学的にまとめると、どこにいようと幸福は当人の考え次第、ということになるのではないか。

作劇としては、登場場面のそれほど多くない成田凌扮する椎名君を狂言回しにした構成で、「桐島、部活やめるってよ」のようにご狂言回しが全く画面に出て来ないという変化球ではないにしても、かの作品のようにその周囲でお話が渦を巻いて進行するのである。
 殆どのエピソードも車での移動が絡んでいるのは映画としての通奏低音の効果も考えてのことだろうが、これが地方の閉塞感を醸成する。地方では車がなければ生活できず(25年くらい前に或る番組=多分クイズ番組=で得た情報によると、当時の群馬県25歳女子の自動車免許保有率は99.7%)、それが人によっては閉塞感になる。門脇麦の免許取得に関する気持ちの揺れは非常に象徴的だ。

廣木隆一監督は、一点豪華主義的に彼の撮りたいショットを見せるしかないアイドル映画より、全編に渡り好みのショットを自由に撮れる本作のような即実的な作品の方が向いている。本作では、門脇麦が冴えない元同級生としけこんだモーテルから抜け出てやけくそ気味に歌を歌いながら歩き続けるのを延々と捉える長回しが良い。

最後に出て来る成田君の妹(木崎絹子)が「ここは超タノシー」とビルの屋上で言う。彼女はどこにいるのだろうか? 

時間軸を頻繁に往来するのは散漫になって余り良くないが、かと言ってオムニバスとして話ごとにまとめると、橋本愛と門脇麦の対照性が弱くなる。いずれにしても、橋本愛の役名が「私」で門脇麦が「あたし」であることから考えると、原作は同名短編ではなく、それを収めた同名短編集から幾つかをピックアップして再構築したものではないか。

一番近いコンビニまで2.5Km、一番近いスーパーまで4km。一番近い駅まで4.5kmで、利用できるのは2時間に一本くらい。バスはない。歩いて行けない距離ではないが、それほど暇ではないし、年を取れば当然無理だ。

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