映画評「いちご白書」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1970年アメリカ映画 監督スチュアート・ハグマン
ネタバレあり

1970年は本格的に映画を観始めた年だが。まだTV放映を鑑賞するのが大半だったので、この映画を実際に観たのは4,5年後高校生の時と思う。しかし、縮緬ビブラートのバフィ・セント=マリーの歌う主題歌「サークル・ゲーム」(作者ジョニ・ミッチェル)はラジオで良く聞いた。「いちご白書」の主題歌としてではないが。

1968年4月にコロンビア大学で起きた学園闘争に関わった青年ジェームズ・クーネンがまとめた体験記録を当時の若手スチュワート・ハグマンが映画化した作品。

大学で地質学を学びボート部に属するノンポリ青年ブルース・デーヴィスンが、友人の女友達から聞かされた大学長室占拠事件に興味を持ち、大学内外での活動の様子を伺ううちに女学生キム・ダービーに目を留め、いつの間にかグループの食料係を仰せつかってしまう。幸運なことにキムも食料係で、一緒に近くの店に調達に行くなどして親しくなっていく。
 学生の要求は大学近くの遊園地を軍事関連施設に変えるという計画の撤回である。悪友バッド・コートも彼以上に不純な目的でグループに加わり、最初は活動家を嫌っていたボート部の仲間も加わって来る。
 いつまで経っても撤退しない学生に業を煮やした体制側が警官を駆り出す。

本作は(本作自体もまた)イデオロギーには殆ど関心がなく、専ら学園闘争を青春の1ページとして繰り広げる青年の恋模様を描く。好きな女性の為に彼は運動に力を注ぎ、悪友たちも活動に興味がないのに闘争に巻き込まれていく。

1960年代から70年代初めの日本の学生運動に参画した人の多くがそうしたムードに誘われたのだと、遅れて来た青年たる僕は想像するのである。
 そうした若者たちの軽さを表現する為に(か)、肩掛け若しくは手持ちカメラを駆使してカメラを動かし回り、時にサブリミナルのような細かいショットを挟んで自由闊達に撮っているところが目立つ。「卒業」(1967年)くらいから流行り始めた音楽に乗せた台詞なしのスケッチ的ショットも多い。「サークル・ゲーム」に乗ったオープニング・タイトルの背景などその代表である。

「サークル・ゲーム」の他、当時人気のあったクロスビー・スティルス&ナッシュの「青い瞳のジュディ」、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「僕達の家」「ヘルプレス」、「ヘルプレス」を作ったニール・ヤングの「ダウン・イン・ザ・リバー」「ローナー」、サンダークラップ・ニューマンの「サムシング・イン・ジ・エア」という60年代末を飾った名曲がかかり、わくわくしてくる。学生運動は知らないけれど、早熟な小学生だった僕はこれらの曲は皆知っているのだ。

そして、幕切れの体育館に座った学生たちが床を叩きながらジョン・レノン「平和を我等に」を延々と合唱する場面では、ノンポリの僕でも彼らの熱意に胸を熱くする。その後の拘束模様はカット割りよろしく物凄い迫力である。
 かくして彼らの活動はその場では空しく「ヘルプレス」の状態に終わるわけだが、こうした活動家たちの運動は少しずつ花を開き、持たざる者の人権は広がって行ったと思う(現在の明らかに行き過ぎたポリティカル・コレクトネスは寧ろ軽薄ですらある)。

このお話が1968年4月を時代背景としているのであれば、1969年発表の「平和を我等に」を合唱することは時代考証的にありえないから、本作全体を実話に想を得た青春物語の寓話と思えば良いのだろう。もう一点、「僕達の家」の音楽に乗って恋人たちが遊園地のローター(?)に乗るスケッチ場面は「大人は判ってくれない」(1959年)へのオマージュかもしれない。

「『いちご白書』をもう一度」もこの映画を語る時欠かせない。バンバンの曲と紹介されることが多いが、やはり作者の荒井由実の名前を挙げるべきだろう。また、日本のGomez the Hitmanが2000年頃に発表した曲「僕たちの暮らし」に「僕達の家」とダブるような歌詞がある。偶然かなあ。

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この記事へのコメント

2019年10月29日 11:10
2005年に三十数年ぶりに観ましたネ。
双葉先生が☆☆☆☆(80点)を付けられたし、当時のヒット曲が聴けるので高校生の僕は劇場まで足を運びました。

>肩掛け若しくは手持ちカメラを駆使して・・。・・音楽に乗せた台詞なしのスケッチ的ショットも多い。

そうそう。当時は新しい風が吹いてる感じでしたが、14年前の記事では『古臭い印象』も受けたと書いてますね。テクニックが古くなったのか、僕の中の古い記憶が呼び起こされたからなのか・・。
いずれにしても思い出の1作には間違いないです。

スチュアート・ハグマンはIMDbでも1977年以降のデータがないですね。
正に一発屋だったんでしょうか?
浅野佑都
2019年10月29日 15:40
 冒頭の青い文字で、コロンビア大学の学部長が言った「学生たちの言っている事は、いちごが好きだと言うのと同じくらい他愛のないものだ」という言葉が題名の由来で、これが彼らの闘争本能に火をつけて、「コロンビア大学闘争」に発展したとクレジットがありますね。
´68年は、ロバート・ケネディが暗殺された年で、主人公の部屋にも「2001年宇宙の旅」のポスターと一緒にR・ケネディの写真が・・・。

当時、東京の中学に通っていた従妹が併設の高校
でバリケード封鎖されたのを目撃しています・・。
僕も、受験した大学の校門でアジビラ配っていたのを職員がすべて回収していたのを覚えてますね・・。
坂本龍一などもそうですが、大学生のみならず一部の高校生にも、「何かせずにはいられなかった」というプロフェッサーの仰る時代のムードがあったのでしょうね・・。
もちろん、この主人公のように、女の子にモテたいという動機で入ってゆく者もあったでしょう。

それと、僕は、現代の若者にも通じるゲーム感覚でやっていた部分も少なからずあると思っています。
特に、70年以降の学生運動はそうでした・・。
「愛と平和」という当初の目的やテーマから外れ、ゲーム遂行のためのアイテム(自己批判や、物理的な武器入手等)重視に変貌していきます。》

>時にサブリミナルのような細かいショットを挟んで自由闊達に撮っている
ボート部の右翼学生が、いつのまにか籠城組に加わっているのが不思議(笑)ですが、モンタージュ的には、素人っぽさを感じさせるような映像がむしろテーマにピッタリ合っていて良かったですね。。

ところで、あらためて気づいたことなのですが、ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」の詩は、過去の回顧と未来へのちょっぴりした期待であり、さらにはある種のペシミスティックな「諦め」さえ感じますね。

荒井由実の「いちご白書をもう一度」も、輪を一周し、もう一度出発点に戻って「どこかでもう一度」と願っている(逆説的に「過去には決して戻れない」という主人公の思いを吐露していてやはりペシミスティックだなぁと‥)
ユーミンと同時代で、で「いちご白書‥」と同じ75年に発売された中島みゆきの「時代」は、人間への応援歌になっているのが対照的で面白いです。

>やはり作者の荒井由実の名前を挙げるべき。
バンバンではなく、ユーミンがセルフカバーしたものがありまして、アレンジがこちらの方が素晴らしく、ぜひお聴きください!

https://www.youtube.com/watch?v=bAWeq-B6osc
オカピー
2019年10月29日 21:24
十瑠さん、こんにちは。

>テクニックが古くなったのか、
概して、新しい技術は古くなりやすいと僕は思っています。せいぜい十年で廃れますからその後見ると古臭く感じるのでしょうね。

>スチュアート・ハグマンはIMDbでも1977年以降のデータがないですね。
早めに廃業されたみたいです。
「さらば青春の日」が日本では知られていますが、何でも観ている僕もこれは観ていないと思います。出来が悪くても良いから、観たいなあ。
オカピー
2019年10月29日 21:48
浅野佑都さん、こんにちは。

>一部の高校生にも
今年の初めに観た「無伴奏」はそんな生徒のお話でしたね。
僕が大学生という固定観念を持っていたので、あの作品は勉強になりました。

>ゲーム遂行のためのアイテム(自己批判や、物理的な武器入手等)
そこまで行くと僕は理解できません。ちょっとした迷惑をかけて良いのは、官憲だけでしょう。

>ボート部の右翼学生が、いつのまにか籠城組に加わっているのが不思議
これは、主人公も不思議がっていましたね(笑)。説得力のある説明は本人からもありませんでした。できなかったというのが正解なんでしょう。


>ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」の詩は
>過去の回顧と未来へのちょっぴりした期待であり、
>さらにはある種のペシミスティックな「諦め」

僕も先ほどあらためて読んでみましたが、正にそうでしたね。


>荒井由実の「いちご白書をもう一度」

じっくり「サークル・ゲーム」を読み込んでみると、お互いに共鳴し合う歌詞だったと確認できました。荒井由実はやはり天才ですねえ。
“就職が決まって 髪を切ってきた時”という歌詞は、寧ろ「いちご白書」の主人公を指しているような感じもします。感動しました。

松任谷由実バージョンを聴きました。素敵ですねえ。松任谷由実はヘタウマ、いやウマヘタなんではないでしょうか。