映画評「生きてるだけで、愛。」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・関根光才
ネタバレあり

本谷有希子の同名小説を、本作が長編劇映画デビュー作に当たる関根光才が映画化した純文学である。

合コンで知り合ったゴシップ雑誌編集員・津奈木(菅田将暉)と3年間同棲を続けている寧子(趣里)は、躁鬱病で鬱を発症して現在過眠症に陥っている。そこへ彼の前の恋人・安堂(仲里依紗)が現れ、仕事に就いて自立して彼と別れろと強要する。安堂は話し合いを行ったカフェバーに掛け合って寧子をバイトに雇ってもらう。
 寧子も店に迷惑をかけ通しの店主夫婦や同僚が寛容に接してくれることに感謝して前向きな気持ちになりかけるが、ウォシュレットの水への恐怖について理解してもらえないことに落ち込んでしまいトイレを壊して店を飛び出す。彼女から悲愴な電話を受けた津奈木は追いかけるが、そんな彼も下卑た仕事に満足できずにパソコンを外に放り投げて首になったところ。
 寧子は彼に別れを匂わし、「自分は寧子と離れられない(からつらい)」と言う。しかし、彼女は彼との生活にほんの一瞬の光を感じたのである。

ドラマ映画は普遍性がなければ作られる意味が殆どない。本作のヒロインはごく一般の人と比べればかなり変わった人間であり、普遍性を感じるところが一見多くない。しかし、不幸や絶望は人によって違うから、悲しみを内に抱えるこの類の人への対応を考えることで、より普遍的な人間探求ができるように思う。

ヒロインは非情に面倒くさい女性である。彼が彼女に迎合すること自体が彼女には面白くない。付き合う相手は、恋人に限らず、難儀を強いられることになる。(人間探求という意味では、先輩の店員は引き籠りだった前歴が明らかにされているが、店主夫婦にも何か曰くがありそうな気がする。)

彼女は最後に裸になって屋上に立っている。彼女は自分(の内面)を見られる(知られてしまう)ことに恐怖を覚えているが、ここへ来て寧ろ彼女の恐怖を覚える理由が彼女への接し方のヒントに変わる。【W座への招待状】の案内人たちが仰るように、接する方も裸になれば良いのである。終幕は、そんなヒントを滲ませ、彼女が通りを疾走しながら服を脱いでいくという、なかなか巧い見せ方と相まって、感動をもたらす。

一見ずぼらだが繊細過ぎる彼女のような人は、その存在を見るだけで辛くなってくる。ヒロインに救いのない作品だから、却って観客に希望が湧いてくる。自身をよく知るが故に自身に絶望する彼女に比べれば僕らの抱える辛さなど何でもないからである。

若手性格俳優・菅田将暉も好演だが、趣里の演技が圧巻。

二人は【割れ鍋に綴じ蓋】の関係と思う。別れない方が双方にとって良いはずだが、どうなっていくのでしょうかねえ。

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