映画評「チワワちゃん」

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・二宮健
ネタバレあり

近年WOWOW【W座からの招待状】が邦画を多く取り上げすぎて困る。このコーナーが始まった頃は欧米のアート系映画ばかりだったのに、このところ半数近くを占める。しかもメジャー映画で通るような作品も多く感心できない。仕方がないので、アート系映画については、【ワールド・シネマ・セレクション】という名目で良く出て来るので、見落とさないよう注意している次第。

で、本作はその【W座からの招待状】が取り上げた、岡崎京子の短編コミックを映画化した青春群像映画である。
 彼女の作品だから痛々しい青春像で、例によって後味も良くないが、少なくとも僕は自分の好みではない人々が主役だからと言ってそれで映画の価値を決めるほど狭量ではない。ドラマ映画は人間観察が目的であるから、重要人物の性格が変なほうが面白味がある。
 一部に主人公の感心できない性格をもって映画を酷評する向きもあり、それを翻せば彼らは聖人君子が法律的にも道徳的にも間違ったことをしない映画を見たいということになる。品行方正の聖人君子を主人公にしてドラマが面白くなるわけもないのだが、本当にそんな作品を見たいのだろうか? 

看護学生のバラバラ殺人というニュースを聞いてもピンと来なかったヒロインのミキ(門脇麦)は、後で被害者が自分達のグループの中でチワワちゃん(吉田志織)と呼ばれていたギャルであることを知り、雑誌記者(栗山千明)のインタビューに応える形で、自分も知らないチワワちゃんについて訊く為に、グループの仲間たちを歴訪していく。

謂わば「市民ケーン」の現在日本版で、記者ではなく関係者であるヒロインが自ら関係者を訪ね歩くというところが特徴。岡崎女史は「市民ケーン」を観ていたのだろうか?

舞台はスマホが出て来るので現在だが、原作が書かれたのは1990年代前半であろうから、パーティー族である彼らの軽佻浮薄な生態はバブル期のそれを思わせる。今を舞台に変えて生きるのは、人々がサイバー空間で繋がり、サイバー機器のなかったその時代以上に人間関係の希薄さが強くなっていることだ。

当時も今もそのような刹那的な生き方をしていない僕には(その違いも)よく解らない、余り興味の湧きにくい内容と言うしかない。
 一種の風俗映画であるから人間観察の面白味より社会の断面を見る面白さに傾くが、それでも物質主義的で刹那的な生き方を謳歌する人々の青春の儚さというものが僅かに感じられはする。それを象徴するのがチワワちゃんという、一時モデルとして持ち上げられ、程なく誰に何の為に殺されたかも解からないまま世間から消えていく一人の少女の短い人生である。

僕のように、大してお金もかけずに映画を観、本を読み、音楽を聴き、野良作業をし、家族や近所の人に付き合うことだけを繰り返す方がどれだけいいか分かりゃしない。晴耕雨読っていいよ。

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