映画評「偉大なるアンバーソン家の人々」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1942年アメリカ映画 監督オースン・ウェルズ
ネタバレあり

オースン・ウェルズ第二作で、日本公開は製作から46年後の1988年まで待つことになる。

1870年代、アメリカの名門アンバーソン家の娘イザベル(ドロレス・コステロ)は、自動車開発に夢中の若者ユージン・モーガン(ジョセフ・コットン)を些細な理由で振って、堅実なだけの青年ウィルバーと結婚してしまう。
 凡そ20年後自動車工場を設立して成功したユージンが娘ルーシー(アン・バクスター)を連れて街へ戻って来る。程なく夫を失うイザベルは焼けぼっくいに火を付けてユージンに傾いていくが、母親に愛されマザコンでプライドの高い息子ジョージ(ティム・ホルト)は彼を拒否する。息子第一の母親はそれを認め、暫く海外で暮らす。
 しかし、数年後帰って来る時はイザベルはすっかり重病を患っている。ユージンが見舞うも重態を理由に会えずに終わる。さらに数年後すっかり没落して働かざるを得なくなったジョージは交通事故で足を失って初めてルーシーの愛を認め、それを知ったユージンは“これでイザベルへの愛が完結した”と満足げに、ジョージの叔母(アグネス・ムーアヘッド)に告げる。

映画会社の都合で131分から88分に短縮された作品で、お話に「市民ケーン」(1941年)ほどの厳しさがない。しかし、僕はこういう甘さのあるメロドラマも割合好物。勿論甘いだけではダメだが、物語は対称性(対照もあるが本稿では無視する)と統一感が見事であるし、「市民ケーン」の二番煎じとは言えパンフォーカスを駆使したカメラも興奮を誘うものがある。

物語の対称性というのは、モーガンが若い時にアンバーソン家の下男に門前払いを食らい、後半結婚を申し込もうとやって来た時には息子に門前払いを食らうこと、これなり。イザベルの臨終の時には家の中に入(はい)れても階段を上ることを認めてもらえない。
 一方、その娘ルーシーはどうか。彼女がジョージを拒むように見える(彼が永遠の別れと彼が宣言しているのにずっとニコニコしている)が、真に拒んでいるのはジョージなのである。だから、彼女は父親に“仕方がない”という嘘のインディアン逸話を語って自らを鼓舞する。父親もそれが解っている。

といったように、二世代に渡って拒否される悲恋としての統一感があるわけで、この悲恋の二重奏が漸く幕切れで終わるのである。ウェルズのアイデアではハッピーエンドではなかったらしいが、お話の結構はこれでうまく行っていると思う。

画面としては、ウィリアム・ワイラーを思い出させる、階段の駆使が非常に印象に残る。カメラにも対称性があり、中盤の初めにルーシーとジョージが馬車に乗る場面を、中盤の終わりに二人の徒歩をそれぞれ長回しで見せる。特に馬車の長回しはそれと意識させず、凄い。

短縮版の編集は後の名監督ロバート・ワイズであるが、短縮の責任が彼にあるわけではない。解って下さい。

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