映画評「この空の花 長岡花火物語」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・大林宣彦
ネタバレあり

大林宣彦の作品は殆ど観て来たのだが、近作はWOWOWに登場しないこともあって、見られずにいた。今回WOWOWは「花筐/HANAGATAMI」の初放映に合わせて全6作の特集を組んだ。初期の3本と、戦争三部作と言われる近作3本である。できれば、もっと続けて欲しい。

本作は戦争三部作の第一作に当たる。「花筐」はキネマ旬報で評者投票で2位と高く評価されたので早く観たいと思っていたいのに対し、こちらは僅かにベスト10圏外であった為に全く記憶になかった。しかるに、これが物凄い力作で、大袈裟に言えば腰を抜かした。作品の内容以上に、作品のエネルギーに感動を覚えたのである。

種々の要素が複合的に語られる為ストーリーの説明も一筋縄ではいかない。

2011年。長崎のお隣天草の新聞記者(松雪泰子)が、新潟県長岡市で高校教師を務める昔の恋人(高嶋政宏)から手紙を貰う。それに加え、東日本大震災の被災者を一早く受け入れた同市の新聞記者(原田夏希)の“まだ間に合う”という震災記事に興味を覚えて取材に出かける。
 元恋人の手紙によれば、彼の学校の女子生徒・元木花(猪俣南)が書いた“まだ戦争には間に合う”という戦時中を振り返る舞台が、1945年8月1日の空襲に思いを馳せて打ち上げる花火共々、公演されると言う。母親(藤村志保)が長崎の原爆を知っている立場の記者として彼女は、中越地震も経験している長岡を観ることにしたのだ。
 長岡には、1歳半で娘を失った老婦人・元木リリ子(富司純子)が長岡空襲の語り部をしていて、彼女とも交錯する。舞台を見終えた彼女は戦争を忘れないことが大事であると肝に銘じ、元恋人とも会話を交えず、長岡を去る。

大林監督について語るキーワードはノスタルジーだ。ノスタルジーは昔のことを忘れないということに通ずる。ノスタルジーに拘るので、映画手法も彼が若い時に観た古い映画の手法が多い。「HOUSE/ハウス」に始まる彼のパッチワーク的な作り方はそれ故である。あの映画にあったエネルギーがこの映画にもあり、「HOUSE/ハウス」の反戦映画版と言いたい程同じようなカオスを感じる次第。

狂言回しである記者や教師が関わる数名は実在の人がモデルとなっていて、役者が演じる彼らと当人が出て来るという再現ドラマ的な部分と純フィクション的な部分の混淆がまず大胆。

何よりも圧倒されるのは、野外で狂騒的と言っても良いくらい様々な人々が交錯する舞台が生み出すエネルギーの物凄さ、映画的な加工を加えた舞台をあたかもドキュメンタリーとして外側から捉えているかのような、筆舌に尽くしがたい強烈な印象である。実際には単なる劇中劇に過ぎないのだが、ドキュメンタリー的な作りをしている部分のあることがそういう効果を生んでいるのであろう。

勿論、元木花は、リリ子の死んだ娘である。1歳半で死んだ彼女が体験もしていない高校生として蘇り、赤子の時に観た風景を再現する舞台を発表する不思議。何故彼女が現代に蘇るのかまだ僕には解らない(旧作「さびしんぼう」にヒントがあるかもしれない)のだが、何回か観ると解るらしい。いずれにしても、【忘れない】の寓意である彼女の存在自体が感動的なのである。

まがりなりにも戦争を知っている人(大林監督は1938年1月生まれ。終戦時7歳)の作る反戦映画は思いが違うなあ。

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