映画評「女と男の観覧車」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年アメリカ映画 監督ウッディー・アレン
ネタバレあり

80歳を過ぎてもまだ意気軒昂に作品を発表し続けている映画作家は日本では山田洋次、アメリカではウッディー・アレンくらいである。アレンは毎年新作が発表されているが2018年はないのでこれがTV映画を別にすると最新作。映画館に殆ど行かなくなってからはまずなかったことである。

舞台は1950年代のコニー・アイランド。コニー・アイランドを舞台にしたダグラス・サーク監督「悲しみは星の彼方に」(1959年)を意識しているらしい。無念なことに、同作は20年くらいに衛星放送で観たことがあるが、すっかり忘れている。

舞台女優上がりケイト・ウィンスレットと再婚している観覧車操業手ジム・ベルーシの許に、ギャングと結婚した為に勘当状態だった娘ジュリー・テンプルが戻ってくる。FBIに強要されて夫の行状を教えてしまったから逃げて来たと言う。
 彼らは案の定探しに来た子分二人を巧く騙してカリフォルニアへ行かせることに成功、その間にケイトは海岸の監視員をしている劇作家志願ジャスティン・テインバーレイクと懇ろになる。
 その一方で若者がジュリーにも好意を覚え、二人の間を右往左往するうちに、ギャング二人が舞い戻ってくる。ケイトはジュリーのピンチを知ったのに、自分の恋の為にジュリーがいなくなると良いと思って連絡しない。案の定ジュリーは行方不明になり、ケイトは永遠に彼の愛情を失う。

サークだけでなく、劇作家志願が話題にするユージーン・オニールを非常に意識しているようで、映画化もされた彼の戯曲「アナ・クリスティ」(原作既読、映画鑑賞済)の発端にかなり似ている。あの作品では娼婦に落ちぶれていた娘アナが父親の許に戻ってくる。待ち設けていた娘と歓迎されざる娘という違いはあるも、結局本作の父親もすぐに和解し、火遊びが大好きな息子の方が気がかりのケイトと心理がすれ違い、後の悲劇に連なっていく。

しかるに、内容がアレンの前作「カフェ・ソサエティ」と似た三角関係(男女の関係は逆)でもあるので、陰鬱なトーンの物語でありながらどうもニタニタ見てしまう。実際アレンとしても厳しい内容を人間喜劇的に処理する狙いがあったのではないか。「ブルージャスミン」が現実と心理のズレを扱った悲劇であるが故に可笑し味が感じられたのに似た印象ではある。ただ「ブルージャスミン」ほどその匙加減が上手く行っていないように思う。

オニールを思わせる台詞の応酬は相変わらず舞台劇を観るような感じ、実際フルショットからバストショット程度のサイズの画面には、登場人物の主観ショットであると同時に、舞台上の登場人物を追う観客の視線のようにカメラが動かされているように印象を受けるところがある。今までもそうだったのかもしれないが、今回特にそう感じたということである。

アレン作品はインテリ層向けの内容だから、IMDbでも評価が伸び悩む。日本では台詞劇的なところを嫌う人が多いようで、やはり伸び悩む。戯曲を数多く読んでいる僕のような人間には、台詞劇の要素は嫌う理由にならない。映画はなるべく台詞に頼らないに越したことはないが、台詞劇はそもそも目的が逆なので、その映画観をそのまま当てはめることはできない。

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