映画評「氷点」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1966年日本映画 監督・山本薩夫
ネタバレあり

1980年代に一度観ているが、今回三浦綾子の小説(原作)を読んだので、併せて再鑑賞することにした。

終戦直後、総合病院を経営する辻口啓造(船越英二)の3歳になる娘ルリ子が、母親・夏枝(若尾文子)が病院の眼科医・村井(成田三樹夫)に迫られている間に、河原で殺される。あらましだけを知った啓造は妻の落ち度を責める一方、代わりの女児が欲しいと願う妻の為に、何と拘置所で縊死した犯人の生れたばかりの娘を引き取る。協力するのは友人の産科医・高木(鈴木瑞穂)。啓造は“敵を愛することが出来るか”という命題を自分に課すことを大義名分に、実は犯人の娘を育てさせることによって妻に復讐することを目的に、実行したのである。
 陽子と名付けられた娘は当初夏枝に愛され、天真爛漫で善意の塊のように育っていく(高校時代:安田道代)一方、夏枝は夫の日記により真相を知った日から養女への態度を急変させる。
 兄・徹(大学時代:山本圭)は実子でないことを知ったことにより妹を異性として愛し始め、親たちの不純さを知って益々のめり込むと同時に、自分の気持ちを抑える為に大学の先輩・北原(津川雅彦)を自宅に招いて妹に接近させる。しかし、彼の気持ちは却って複雑になる。
 自己中心的な夏枝は紆余曲折の末に北原と陽子に彼女が殺人犯の娘であることを告げる。さすがにそれにより陽子の温かい天真爛漫な心も氷点に達し、ある冬の朝、ルリ子の殺された河原で睡眠薬自殺を実行する。夏枝は高木に娘の親が犯人でないことを知らされ、ショックを受ける。しかし、関係者の懸命な世話のおかげで陽子は長い昏睡から復活する。

お話の骨格自体に原作と大きな異同はないが、小説では陽子の蘇生への希望を匂わせるだけで終わるのに対し、映画は明快に蘇生し大いに後悔した夏枝を安心させて終る。かくして映画は、原作とは違い、主人公が夏枝であるという印象を醸成する。

原作者三浦綾子はクリスチャンであるから本作に投入したのは人間の原罪である。夫の必要以上の嫉妬と妻の高慢から実の息子と養女がひどく苦しめられ、その息子もエゴイズムから逃れることが出来ない。人間的に一番スケールの大きい陽子は、自分というより人間の罪を自らに背負うように自殺を図る、というのが解釈上のストーリーではなかろうか。

映画版は、緻密に心理や感情の揺れを重ねた小説に比べると、物凄いスピードで展開するので、その揺れを十分感じさせることができず、半ばメロドラマという印象を与えてしまうが、大衆的なドラマとしては一通り以上に楽しめると思う。現に僕はかつてIMDbに8点を進呈した。今回観直すと、原作と比較するまでもなく、展開が速すぎて潜在能力ほど心に沁み込まず★一つ減点することにした。

ただ、文庫本で700ページほどある原作を、回想手法を駆使し、或いは、違う時系列の複数エピソードを一つに併合するなどして96分にまとめた脚本・水木洋子の手腕はさすがと思う。
 その一環で、辻口院長を慕い村井を巻き込んで野望を遂げようとする病院事務員を全くお話から除外した。院長の洞爺丸での遭難もない。原作では高校生ではなく小学校4年生の陽子が牛乳配達し、吹雪に難儀するだけで遭難はしない。陽子はやっと到着した新聞店の店主夫婦の会話から自分が養女であることを察しそれを心に秘めたまま健気に成長する。映画が高校生の陽子に新聞配達をさせるのはその過程を省く為である。こうして徹底的に短縮を図ったのだ。ただ、もう40分くらい長くて良かったと思う。

日活が作れば、陽子は吉永小百合だったろう。徹は勿論浜田光夫だ。

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