映画評「ザ・スクエア 思いやりの聖域」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2017年スウェーデン=ドイツ=フランス=デンマーク合作映画 監督リューベン・オストルンド
ネタバレあり

フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド監督の新作。前述作品は途中までの僕の理解が正しくなかったせいもあって高く評価できなかったのだが、本作は作者の狙いが早めに、恐らくはほぼ正しく掴めたおかげで、面白く観られたし、純粋に作品としてもなかなか優秀と感じた。前作同様相当妙な作品で、全く大衆向けとは言えない。

“信頼と思いやり”をテーマにした現代美術展を企画している美術館のキュレーター、クレス・ハングは、女性が男から逃げるのを助けた時に、財布とスマホとカフスボタンを掏られる。携帯をGPSで追跡することで建物だけは特定でき、部下の発案で深夜、脅迫の手紙を数十軒のドアの郵便受けに投げ入れて来る。
 その結果掏られたものは全て返ってくるが、それとは別に一人の人物から脅迫状が届く。最終的にアパートの踊り場で会ってみれば12,3歳の少年に過ぎない。しつこいので突き倒して無理やり帰らせるが、その後少年の声は続く。しかし、姿はどこにもない。
 ここに至って自分の思いやりのなさを意識せざるを得なくなった彼は、書いてあった電話番号も通じず、少年のアパートへ行くが、既に引っ越した後、“後悔先に立たず”としょんぼり帰宅するしかない。

というのが主軸となるお話で、これに関して結果的に報復はされなかったのに、自分の責任である部分が少ない事案で報復される。即ち、広告代理店の作った金髪少女爆殺映像(勿論本物ではない)が炎上、総責任者として退職させられるのである。
 その他に、アメリカ人女性ジャーナリスト(エリザベス・モス)とのエロティックな関係が扱われるが、上の二つとは相互的に関係しない、このエピソードは彼女の口を通して主人公の性格を“傲慢”と定義する為に置かれているように思う。

主題は“信頼と思いやり”を主唱する催しを指揮する人間がそれを余り持っていなかったという皮肉により、その必要性を強調することにあろう。それは即ち今の世界にそれが足りないということを訴えることに他ならない。

“信頼と思いやり”を下支えするのが“寛容”である。映画は序盤の内から登場人物の寛容性を試すシチュエーションを次々と繰り出す。公開インタビュー中に神経病を患っているという男の変な言動を延々と繰り返すところがその典型。さらに、猿男の傍若無人の行動をずっと我慢していた紳士連中が遂に堪忍袋の緒を切って男を叩きのめす場面で人の寛容さの限界を示す。

それでは、少年の声がするのに主人公がなかなか調べようとしない場面はどうであろうか? この作品全体がそうなのだが、特にここは登場人物ではなく、観客の寛容さを試す場面となっている。常識的な観客であれば、主人公が階下や階上に行って調べようとしないことにイライラする。作者は敢えて主人公を動かさないのだ。従って、“無駄な場面があって退屈云々”という意見は作者の狙いが全く解っていないことになり、この措辞を使う時点で本作を評価する資格がないことになる。観客をイライラさせることも目的の一つであるこの作品に無駄な場面はないのであって、主題と狙いが一体となって上手く作られていると感心(?)させられる次第。
 とは言っても151分という長さを長く感じるのは確かであるから、この程度(と言っても少なくはない)の☆★に留めるわけである。

イライラと言えば、TVを見ていると、かなかな星人(“~かなと思う”を連発する人々)が増殖中。人気の高い大谷選手がよく使ったことで一気に広まったと推測する。元を辿れば、安倍首相の特徴的な言い回し“~なんだろうと思う”に行き着くと僕は考える。人気というのはこういうことだと痛感させられる。言葉の保守たる僕は毎日イライラしているのだ。そう言えば、浜崎あゆみの絶頂期に猫も杓子も茶髪・金髪にした。女性に関しては彼女の影響力もあっただろう。

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