映画評「マルクス・エンゲルス」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年フランス=ベルギー=ドイツ合作映画 監督ラウール・ペック
ネタバレあり

一昨年カール・マルクス「資本論」を40年の念願叶って読み終えたが、彼の著作を初めて読んだのは盟友フリードリッヒ・エンゲルスとの共著に当たる「共産党宣言」(1848年)である。それほど昔のことではない。

一言で言えば、本作はまだ二十代のマルクス(アウグスト・ディール)とエンゲルス(シュテファン・コナルスケ)がその「共産党宣言」(厳密には本ではなく綱領)を発表するまでの共闘を描いた内容で、夫々の妻イェニー(ヴィッキー・クリープス)、メアリー・バーンズ(ハンナ・スティール)の積極的な協力を得て、ドイツやフランスから追い出されたにもめげず、足場固めの為に加わった微温的な“正義者同盟”をクーデター的に“共産主義者同盟”に編成し直すと、やがて歴史的な「共産党宣言」を発表するのである。

共産主義を蛇蝎的に嫌う人がいるが、19世紀半ばの労働者階級のひどい扱いを知ればこういう運動が起こるのも尤もと思わされる(「資本論」が引用する英国の調査団体の各種報告書に触れると言葉を失う。特に女性と子供の働かせ方が恐ろしい)。現在8時間労働が当たり前だが、当時は12時間に短縮されたと言って喜んでいたのである(一番ひどい時は16時間だったと思う)。本作でも少し触れられているが、男性従業員の給金が相対的に高いので、やがてぐっと安い女性と子供に労働の中心が傾いていく。

そして、よくよく考えてみるとマルクスらが目覚めた頃、産業革命により資本主義が始まってまだ歴史も浅く、現在の洗練された(?)資本主義的な視点から共産主義を見てはいけないと思う。“封建制を倒したブルジョワの武器が今や彼ら自身に向けられている”(「共産党宣言」)は名言と考えられる。
 僕は、政治思想や哲学について浅学に過ぎないが、それでも「資本論」を読むと、マルクスが所謂マルクス主義者でないことは解る。ソ連も中国も初期の段階からマルクスの考えとは違うことを行ってきたのである。

マルクスとエンゲルスの夫婦の中で労働者階級なのはメアリーただ一人で、映画の中で労働者階級らしい英語を喋っていたのが印象的。映画における言語の話に行く前に、彼らが貴族であったりブルジョワ階級であることに対して現在の一部保守が“偽善”と言うのは誤った人間観であろう。歴史的革命は上流階級から起こるもの。何故なら革命は文字が読める階級でなければ組織的に行えないからである。

さて映画における言語の話。色々な言語が交錯する歴史映画や戦争映画ではオリジナルの言語で話されるのが望ましい。本作では、ドイツ語、フランス人の話すフランス語、ドイツ人の話すフランス語、ドイツ人の話す英語、英国労働者階級の英語が交錯し、非常に正確なイメージを我々に与えてくれる。

ここまで色々と語って来たのに何であるが、実は本作、映画的には余り面白くないのである。マルクス/エンゲルス入門にはうってつけだが、Wikipediaのエンゲルスの項目を読めばこの映画の内容と同じようなことが書いてある。野球で言えば、棒球(ぼうだま)の直球ではなく、軽く変化するツー・シームくらいにしないと打者(観客)としては手応えを感じない、といったところですかな。

この映画を観るくらいの人なら、マルクスとエンゲルスが別人であるくらいは解るだろうが、「マルクス・エンゲルス」という表記では、明治以降試行錯誤して定着した現在の表記法に照らすと、マルクス・エンゲルスという一人の人物を思わせてしまう。余り感心できない。

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