映画評「わたしは、幸福(フェリシテ)」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年フランス=ベルギー=セネガル=ドイツ=レバノン合作映画 監督アラン・ゴミス
ネタバレあり

今回のベルリン映画祭特集は晦渋な作品が多く、少々困っている。乱暴に言えばいずれも一人合点なのだが、無下には扱えないと思わせるものが多く、益々困る。その点本作は大枠においてぐっと解りやすい。

一時ザイールと言われていたコンゴ民主共和国(隣にコンゴ共和国があるので、フルに記す必要がある)。
 少女時代に辛うじて生き延びた時にフェリシテ(幸福)と名付けられたシングル・マザー(ヴェロ・ツァンダ・ベヤ)は、歌手として一生懸命働き蓄財しているが、勝気そうな様子に拘らずお人好しでよくお金を散財してしまう。そんな生活苦のある日、高校生くらいの息子(ガエタン・クラウディア)が交通事故で重傷を負い、手術代に莫大な費用が必要となって頭を抱える。前夫や兄にお金をせびっても“誰の世話にもならぬ”とでも言っていたせいだろうか、追い払われるだけ。警官に賄賂を払って借金を返さない人から無理無理に取り立ててもまだ足りない。
 そうこうするうちに息子の怪我が悪化して片脚を切断することになる。医療費がこれ以上持たないので自宅に連れ帰ると、息子に笑顔が戻り、何かと便利に使って役に立つ中年男タブー(パピ・ムパカ)の様子を見るうちに幸福感を覚えるようになる。

というお話で、彼女がお金の工面に奔走する辺りは、現代アフリカ版「自転車泥棒」(1948年)の趣きで、大衆的にはここが一番面白い。「自転車泥棒」が戦後イタリアの庶民の貧しさとの悪戦苦闘を描いたように、本作はコンゴ民主共和国の貧民が直面している厳しい現状を映し出しているのであろう。

解りやすいと冒頭で述べたものの、すっきり把握できないところも少なくない。
 住民たちがやたらに“神”に言及し、キリスト教霊歌のような歌が紹介されるところを見ると、ヒロインは非情な現実に一旦神の存在に疑問が抱いたものの最終的に宗教に帰っていく、という内容にもなっているのではないだろうか。彼女の歌っている幾つかの、ローカルな言語による歌の歌詞が全く解らないことが内容把握を難しくしている。
 ヒロインが夜間に水の中を歩く場面も現実なのか幻想なのか解らず、この辺りは一人合点と言われても仕方がない。

現在の宗教は、あと数十年しか持たないと僕は思っているが、どうですか。

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  • わたしは、幸福(フェリシテ)

    Excerpt: アフリカ・コンゴ共和国の首都キンシャサ。 シングルマザーのフェリシテは、バーで歌って生計を立てている。 常連の男タブーに言い寄られるが、彼女にその気はない。 ある日、一人息子サモが交通事故に遭い、病院.. Weblog: 象のロケット racked: 2019-02-22 11:34