映画評「タバコ・ロード」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1941年アメリカ映画 監督ジョン・フォード
ネタバレあり

面白い偶然があったもので、アースキン・コールドウェルの小説「タバコ・ロード」を読み終える寸前、理由があってあるところにしまっておいた保存済みブルーレイをチェックしていたらその映画化であるこの作品が出て来た。録画していたことすら忘れていたのだから奇遇と言うしかない。“それでは原作を読み終わったら再鑑賞してみよう”と鑑賞予定を急遽変更したという次第。
 結果的に僕の理屈っぽい性格故に内容比較に終始した感があり、映画評としては余り参考にならないかもしれない。悪しからず。

本作は、ジョン・フォードのフィルモグラフィーをひも解く時、「怒りの葡萄」(1940年)に続いてプア・ホワイトの苦闘を描くものに当たるが、タッチは正反対、ドタバタ喜劇に推移する。本作はコールドウェルの小説を直接脚色したものではなく、小説をジャック・カーランドが戯曲化したものの映画化である。結論から言うと、小説の要素を使いながら、主題が小説とはほぼ真逆になっているように思われる。
 「怒りの葡萄」も製作から20年以上経って日本での公開に至ったが、本作は何と47年後の1988年である。どちらも悲惨な話ですからね。

1930年代。連作障害で全く綿花の採れなくなった元富農レスター家のお話で、主人公ジーター(チャーリー・グレープウィン)がぐうたらであるのは小説に同じ。しかし、小説では彼は思い立っても結局殆ど何も実行できないという設定であるのに対し、こちらは小説には出て来ない銀行に行ったり(小説では過去のエピソードとしてのみある)、それなりにやる気があるように見える。
 13歳(小説では12歳)の末娘を嫁がせた娘婿ラヴ(ウォード・ボンド)の蕪を横取りして家族全員でむしゃむしゃ食べるという野趣溢れる場面は全くそのまま。彼に色目を使う娘エリーメイ(ジーン・ティアニー)は、小説では兎唇(みつくち)で二目と見られない醜い女という設定だが、映画では美人女優ジーンがやっているのだからそんな風には見えない。ただ頭が足りなそうなのは同じである。
 もっと頭が足りないのは弟デュード(ウィリアム・トレイシー)で、20歳(小説では16歳)にもなってクラクションを鳴らすのが大好きというバカ息子。この映画の映画史にも稀に見る狂騒的な部分は彼に負うところが大きく、39歳の女伝道師ベッシー(マージョリー・ランボー)に車を買ってやると言われて結婚してしまう。

車を巡る騒動も色々と小説とは違うが、余り意味がないので省略。

一番違うのは、終盤の悲劇性である。小説では、主人公に追い出されたベッシーが車をバックさせてジーターの老母を轢き殺してしまい(映画では一時的な行方不明)、主人公夫婦は自ら木に付けた火が家に類焼して就寝中に死んでしまうのである。
 ところが、映画では、小説に出て来ない前の土地所有者ティム(ダナ・アンドリューズ)が救貧農場に向かう夫婦(妻エイダ:エリザベス・パタースン)を車に乗せ、農場の代わりに家まで送り届ける。彼の援助で半年間土地にいられることになり、その間に彼が与えた10ドルで再起を期すのである。狂騒後人情という流れとなっていて、主人公は神に感謝する。この終幕はいかにもフォードらしく人情味溢れるわけで、映画としてこれはこれで完成度が高い。

小説は可笑し味を大量に持ち込みながらも登場人物に対する態度に人間への皮肉があり、ホテルで売春を繰り返すベッシーの行動を考えると信心に対しても極めて冷淡と言わざるを得ないものがある。ベッシーが霊歌を歌い出すと役人やディーラーがつられてしまうという可笑し味になっている映画に対し、小説では彼らが聞きたくないので早く仕事を済ませる結果に繋がるという揶揄的な扱いになっているのもその例証として挙げて良いだろう。

小説には性的なニュアンスも相当あるのだが、当時のヘイズ・コード(日本の映倫に近い)では到底許されないので映画は全く触れない。

舞台由来とは言え、映画が(比較的)万人向けの人情劇に仕上がったのは上記のおかげである。それにしても物凄い狂騒なので、本当に万人向けなのかは僕には責任が持てない(笑)。

ブルースに同名の名曲があるけれど、関係があるのかな。

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