映画評「ジャコメッティ 最後の肖像」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年イギリス映画 監督スタンリー・トゥッチ
ネタバレあり

100年前芥川龍之介が谷崎潤一郎との間で“話らしい話のない小説”をめぐって論争した(「文芸的な、余りに文芸的な」)。初期の頃は話らしい話のある小説を書いていた芥川が物語性のないものの価値を主張したのだから非常に興味深いものがあるが、こんなことから書き始めたのは、この映画は“起承転結の転結がないからダメな映画である”と決めつける投稿を読んだからである。話らしい話を綴るものが主流であった100年前にさえこんな提議があったのに、ましてこの多様性の時代に何とも固定観念に縛られた人もいるものだと思う。
 少し修正すれば良い。“起承転結が必要である作品においては起承転結がきちんとなければダメである”と。で、この作品は、後で簡単に説明するように起承転結が必要でない作品であるから、かの意見は全く的外れということになる。

1964年パリ。美術評論家でもある作家ジェームズ・ロード(アーミー・ハマー)は、知人でもある有名な彫刻家・画家アルベルト・ジャコメッティ(ジェフリー・ラッシュ)に画家のモデルを頼まれ、2・3時間で済むはずが延々と続く羽目になる。

というだけのお話で、その間に、天才的な芸術家の複雑で矛盾する内面を、作家の眼を通して、浮かび上がらせる内容である。出来事をテーマにしたお話には起承転結が必要であるが、内面を描くものには必須ではない。本作のテーマは出来事でなく一人の人間の内面を凝視することにあるから、なくて差し支えないということがお解りになるだろう。

従って、面白味は芸術家の内面の複雑怪奇さにある。対人的には大胆で大雑把なところが目立ち、細君(シルヴィー・テステュー)のいる前でモデルでもある娼婦(クレマンス・ポエジー)とイチャイチャしたり、彼女のヒモたちに大盤振る舞いをしたりする。経済感覚もない。
 美術については、ピカソを批判し自信家であるところを見せるかと思えば、昨日まで良い思ったものが今日は変更したくなるなど自作に対して不安の塊のようである。

人間観察がお好きな方には楽しめるのではないだろうか。監督・脚本を担当したのは俳優スタンリー・トゥッチ、見かけによらず地味な素材を選んだものと感心する。原作はロードご本人のノンフィクション。

TV番組「ネプリーグ」で林先生が“本来の意味での起承転結による文章なんて小学生に書けるわけがない”と言っていた。そう思う。そのほかにも“起承転結では文章は書けない”と仰る学者は少なくない。

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