映画評「デカメロン」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1971年イタリア=フランス=西ドイツ合作映画 監督ピエル・パオロ・パゾリーニ
ネタバレあり

ピエル・パオロ・パゾリーニは本作で艶笑文学の映画化に取り掛かってから運命の歯車が狂い始めたと勝手に思っている。エロ系列という枠では同じ括りに入る遺作「ソドムの市」(1975年)の出演者に殺されたのも、作品の内容とは関係ないのであろうが、ああいう作品を作った後だけに“さもありなん”の印象さえ抱かせるのである。

パゾリーニの名前も碌に知らない中学生の時に映画館で「カンタベリー物語」(1972年)を見た。今ならR-15になるであろうが、当時はX(成人向け)以外は全て制限なしに観られたから呑気な良い時代である。高校生になって「カンタベリー物語」を読み、大学生の時に「ソドムの市」を映画館で観た。怖いもの見たさでしたな。社会人になって大分経ってからWOWOWで本作と「アラビアン・ナイト」を続けて見た。開局から間もないから1990年代の初めのこと。ボッカチオ「デカメロン」は有名ながら(完全版は)なかなか読めない本で、完全版を読んだのはほんの数年前である。以上が、パゾリーニ艶笑文学三部作に関する僕の沿革である。

さて、「デカメロン」は「十日物語」とも呼ばれるように、十人の男女が十日に渡って全員が一話ずつ語るという体裁で進む全百話構成で、本作はその中から8話を選び出して構成している。Allcinemaの7話という説明は間違いで、さらに“現代に置き換え”という表現も不適切。舞台は原作通り14世紀頃だから、現代に通用するようにアレンジされていると言った方が正しい。これはどの時代劇、歴史劇にも言えることなのであるが。

第一話は、妹と称する美人に騙された若者が肥溜めに落ちた間に持ち金を盗まれた後、今度は大司教の棺から宝石を盗む二人組に騙されて閉じ込められるが、別の窃盗団が開けた時に自分の分け前を失敬するのに成功してとんずら。なかなか可笑しい。
 次は尼僧たちが聾唖であることを良いことに肉体関係を結んだ若者が実は聾唖でないと判明して慌てるが、それを院長は“奇蹟だ”と考えるナンセンス。院長の発言が誤魔化しなのか本気なのか解らないところが面白い。
 間男と交渉を持っている際に夫が早く帰ってきたために慌てた妻が男を大きな甕を買いに来た商人と嘘を言い、夫が甕を掃除している最中に続きを始める第3話。人間の性(さが)に可笑しさと共に悲しさも感じてしまう。
 第4話は、悪党のついた適当な懺悔を信じ込んでしまう司教のお話で、ピンと来ず。
 続いては、「ロミオとジュリエット」の野卑な原型(と考えたくなるようなもの)が見られる若い男女の物語。かなり明け透けながら本作のエピソードの中では爽やか。
 第6話は打って変わってグロテスクなお話で、美少女が兄三人に殺された使用人たる恋人の死体を掘り起こして頭だけ持ち帰って飾る。
 第7話は、聖職者が変身の魔術と称して夫の目の前で美人の細君にちょっかいを出すお話。
 最後は先に死んだ者があの世のことを教えに来ると約束した二人の友人のお話で、“不貞なんかは大した罪ではないとあの世の審判は言っている”と知って生き残った方が大はしゃぎというおふざけ。

実はこれに加え、映画独自に、狂言回しとして実在する画家ジョット(パゾリーニ)が登場する。しかし、最初から出てくれば作品としてバランスが取れたものを第4話くらいから出るので狙いが不鮮明になったのは惜しい。礼拝堂の装飾画を完成すぺく奮闘するジョットはパゾリーニの映画製作の投影か? 

全編伏字ならぬボカシのオンパレードなのだけれども、パゾリーニは直截なエロ気を狙わずに人間の悲しいまでに可笑しい性(さが)を焙り出すことに注力した印象で、これだけ下卑たお話の連続なのに案外通俗に落ちていないのは立派と言うべきなのだろう。

これが本当のボッカシオ(意味不明)。

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