プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画評「セザンヌと過ごした時間」

<<   作成日時 : 2018/11/05 09:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

☆☆☆(6点/10点満点中)
2016年フランス=ベルギー合作映画 監督ダニエル・トンプソン
ネタバレあり

フランスの美術家を描いた作品を3作続けて観ることになったが、本作が作品として一番きちんとしている。

1852年、イタリア系であるという理由で虐められるエミール・ゾラを一年先輩のポール・セザンヌが助け、二人の間に長く保たれることになる友情が生れる。しかし、三十代半ばでゾラ(ギヨーム・カネ)が小説家として成功したのに対し、画家セザンヌ(ギヨーム・ガリエンヌ)は一向に芽が出ない。
 四十代半ばのゾラがセザンヌとマネをモデルに取り組んだ新作「制作」がセザンヌには気に入らず、やがて種々の意見の対立などあり、二人は断絶する。
 1898年有名なドレフュス事件に関してセザンヌの暮らすプロヴァンス州エクスを訪れても二人は会わない。セザンヌが物見高い人々の間からゾラを覗くだけである。

邦題は、原題「セザンヌと私」を意識して苦心した題名であるとは思うが、これだとセザンヌだけに焦点が当たってしまう。実際には、主人公ゾラから観たセザンヌの人生であって、文学全盛期の19世紀フランスの中でも有数の作家ゾラの名前を無視するのは文学ファンとしては非常に残念である。

それはともかく三作の中では、扱っている時代が半世紀に近く伝記映画として最も本格的である。とは言っても昔の映画と違って時系列に沿ってエピソードを並べるのではなく、時代が行ったり来たり、回想型とも違う奔放な作りとなっている。友情に亀裂が入り、断絶もしくは絶交にまで至る様とその内実を効果的に描こうとしたのだろうが、それほど効果を発揮しているとも思われない。

しかし、人物像を徹底的に彫琢し、それも特にセザンヌに関して好人物という扱いを全くしていないところに好感が持てる。伝記映画を越えたドラマとして十分観ることが出来る次第。

文学ファンとしては、ゾラがセザンヌに“写真が画家を食い上げにする”という趣旨の言葉を放つシーンが興味深い。何となれば、これは彼が評論「実験小説論」で述べたことと一致し、写実性をモットーとする自然主義文学者としての彼の立場がよく表されているからである。また、写真の出現が絵画を抽象に向かわせた原因の一つであることは間違いないであろう。

バルザック『人間喜劇』(全91作)、ゾラ『ルーゴン・マッカール叢書』(全20巻)、ジュール・ロマン『善意の人々』(全27巻)。最近のオムニバス風群像劇映画を観ると、これらに思いを馳せずにはいられない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
映画評「セザンヌと過ごした時間」 プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる