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zoom RSS 映画評「ダブル/フェイス」

<<   作成日時 : 2018/10/28 09:33   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2017年アメリカ=イギリス合作映画 監督ジョナサン・ベイカー
ネタバレあり

子守が雇い主を困らせるという内容が、1991年の「ゆりかごを揺らす手」に似ている。厳密には日本未公開映画扱いになるニコラス・ケイジ主演映画だが、実際にはケイジ君は脇役でござる。

流産を繰り返し、他人の卵子を使ってやっと娘を得た女医ジーナ・ガーションは、夫ケイジの念願であるもう一子特に男児を設けるべく励んでいる。シングル・マザーのニッキー・ウィーランと知り合い、彼女を娘の子守として雇うともなく住み込ませるようにした頃再び妊娠するが、またまた流産する。そこで卵子の提供を受け、友人のナタリー・エヴァ・マリーを代理母にしようと考えるが、そのナタリーが急な水死を遂げた為、ニッキーを代理母に急遽任命する。
 しかし、その頃からニッキーが異常性を示すようになり、ジーナがケイジにそれを訴えるもすっかり相手を信用していた為、結果的に彼女は恐ろしい目に遭うことになる。

というお話で、疑問百出という感じがあって余り出来の良い脚本ではない。「ゆりかごを揺らす手」が最初から逆恨み的に復讐しようと雇われるのに対し、本作のニッキーは何だかよく解らない。狙いを定めて来たのは確かで、母親の資格の怪しい(と勝手に見なした)ジーナを裁き子供を独占する為に来たということなのだろう。

ニッキーが絡む冒頭のエピソードはミス・リードの為に置かれているが、後段であの場面の意味が解るとは言え、勘の悪い人には終った後も状況が解らないのではないかと危惧される不親切さ。こういう不親切は幾つもあり、特に重傷を負ったジーナの手術をした医師がケイジに向って首を横に振る意味が全く解らない。どんでん返しを狙ったミス・リードであるが、これは全く解読不能で、さすがにひどいと言うしかない。

面白いとしたら、母性が強すぎてサイコパスになった女性の行動を通して関係した誰にも母親と見なされる資格があるという考察を提示したことである。卵子提供者、腹を貸した女性、そして生まれた子供を受け取る女性。ジーナに関して言えば、卵子提供者はニッキー、現在いる子供は自分が腹を痛めた子供である。最後の子供はただ受け取るだけである。ニッキーの子供は卵子提供者は彼女自身、腹を痛めたのは受け取る女性自身である。
 そういう色々な状況が人工授精にはあり(だからこその匿名が要請される)、究極的にはこういう問題が起こりうる。女性(脚本クロエ・キング)ならではの着眼点という感が強い。サスペンスとしては弱いが、女性学的見地から見れば必ずしもつまらなくはない。

“LGBTは子供を産まないから生産性がない”として、子供のない総理を困らせた思慮の足りない自民党女性議員がいるが、人工的な方法で子供は作れる。日本での法整備はまだ十分ではないかもしれないけれど。そういうことに税金をかけたとしても、子供を増やすことが国にとって意味があるなら当然必要なことだろう。生産性という観念で捉えると、一人しか子供を持たない家は決して生産性が高いとは言えない。かつてソ連がマチ・ゲロイニャ(母親英雄)として子供を多く生んだ母親を表彰していたのに通ずる発想。自民党議員には、極めて全体主義的で、ソ連・中国式の発想をする人が多い。

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