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zoom RSS 映画評「笑う故郷」

<<   作成日時 : 2018/09/10 09:12   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
2016年アルゼンチン=スペイン合作映画 監督マリアノ・コーン、ガストン・ドプラット
ネタバレあり

なかなか興味深い実質上のアルゼンチン映画である。

ノーベル文学賞を取って引っ張りだこになったスペインの作家オスカー・マルティネスが、殆どの要請を断っている中、故郷アルゼンチンの田舎町サラスから届いた名誉市民にしたい旨の手紙に心を動かされ、40年ぶりに帰ることにする。動かされたのは名誉にではなく、恐らく郷愁によってである。
 なかなか目的地に着かない道中に半ば呆れながらも、市長による熱烈な歓迎に宗旨変更して愛想良く相手の要請に応じたりもする。
 が、自称芸術協会会長が絵画コンクールで自作の絵を落選させた作家を非難した辺りから、この故郷が持つ保守的で閉鎖的な実態が徐々に明らかになり、勝手に押しかけてきた娘との関係を疑った友人に襲撃される。

というお話なのだが、この後に続く幕切れは、考え方によっては一種のどんでん返しである。夢落ちに等しいと言っても良いくらいで、“人が悪い”と言うなら、主人公の小説家ではなく、マリアノ・コーン、ガストン・ドプラットという監督コンビを指した方が正解なのではあるまいか。

つまり、この作品で描かれる内容は、幕切れを除いて自伝的小説(日本流に言えば私小説)の中味らしい。記者の「(私小説なので中身が)自己中心的ではないか」という質問に対し、小説家は「小説は自己中心的でなければ書けない。しかし、何が真実であるか解ろうか」と答えるのである。だから、この映画の中味は小説家が実際に経験したことかもしれないし、変えられているかもしれない、という曖昧さを内包することになる。監督コンビがメタフィクションとして芸術論・小説論を展開しているとも考えられるわけである。

全部が事実でないとしても、主人公にとって故郷はかつても一時帰郷時も過ごしやすいところではなかった、というのは真実だろう。

本来の意味とは違うが、あらためて室生犀星の「故郷は遠くにありて思うもの」が身に染みる。

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