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zoom RSS 映画評「ユアン・マクレガー/荒野の誘惑」

<<   作成日時 : 2018/08/29 08:59   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2015年アメリカ映画 監督ロドリゴ・ガルシア
ネタバレあり

新約聖書で“荒野の誘惑”と呼称される部分を映画独自のお話を加えてこしらえたドラマ。スペクタクル性を全く排した一種のミニマリズムの作品なので、日本ではユアン・マクレガー主演でも当然のようにお蔵入り(劇場未公開)となっている。お蔵入りでも昨今はかなりの作品が見られるので全く良い世の中である。

精霊により荒野に導き出されたイエスヨシュア(ユアン・マクレガー)が悪魔(マクレガー二役)により色々な誘惑を試みられる。本作では「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったという有名な挿話は扱われず、その代わり遭遇した荒野の三人家族に絡めて色々と誘惑が試みられる。少なくとも二人がよく口にする“父”が神を指していることを理解しないと何のことか全く解らないことになる。この地味なドラマを観るような篤志家であれば、そのくらいのことは解りましょう。

(追記)
正確にはイエスではなく、旧約聖書に出て来るヨシュアと同じ名前の人物が主人公だが、事実上イエス。一応訂正しておきました。やや普遍的なキリスト(救世主)像を狙ったものか?
(追記終わり)

悪魔の誘惑に屈せず、その最後の言葉「父によろしく」が処刑を暗示した後、人間の悪意により処刑されるキリストの最期が最小限の描写のうちに感銘を催させる。この終盤は興味深い場面構成と言って良いが、同時にキリスト教徒ではない僕(ら日本人)には、ピンと来ないところも多い。

印象的なのは、悪魔がイエスと全く同じ風采をしていること。つまり、悪魔とはもう一人の自分、自分の悪しき弱い面であることを強調する演出で、これはキリスト教が悪魔という存在を設けた本来の目的に適うものであると考える。多くの日本人の頭には、晦渋な台詞の応酬以上に、これが本作で一番残るのではないか。

聖書は通読してみたものの、通暁しているとは言えない。何だかんだ言っても僕は色々な宗教が混合した状態が身に沁み込んだ日本教(?)教徒なのだろう。

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