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zoom RSS 映画評「許されざる者」(1960年)

<<   作成日時 : 2018/08/16 09:13   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1960年アメリカ映画 監督ジョン・ヒューストン
ネタバレあり

クリント・イーストウッドの西部劇「許されざる者」(1992年)が公開された時、僕は、その30年以上前にジョン・ヒューストンが作ったこの西部劇のリメイクと思ったが、全く関係なかった。

テキサス州の平原地帯の崖と連なるように作られた家に母親リリアン・ギッシュ、長男バート・ランカスター、次男オーディ・マーフィー、三男ダグ・マックルア、長女オードリー・ヘプバーンが暮らしている。
 折しも息子たちが牛を売る長い旅から帰って来るが、それと並行してオードリーは突然現れたサーベルを下げた不気味な老人ジョゼフ・ワイズマンから半ば意味不明の言葉を聞いて恐懼する。一家は牛の商売を通してチャールズ・ビックフォードの一家と親しくしてい、オードリーとその息子とは互いに憎からず思っている仲である。
 ある時インディアンの若者が現われ、長男に「妹を渡せ」と交渉に現れる。妹とはオードリーのことである。その関連で息子を失ったと信じるサーベルの老人も彼女はインディアンであると言い、ビックフォードの息子が結婚の成立を喜んだ家への帰途の最中に足と称する若者のグループに殺されるという事件が起きる。ビックフォードは首を吊らせた老人から真実を聞き出そうとするが、リリアンはそうはさせじと老人を乗せた馬を蹴る。
 結局それが事実と確認されると、一家は閉じこもり妹を奪いに来るインディアンと激しい戦いを繰り広げることになる。オードリーはアイデンティティーに苦しみつつ戦う。

序盤ののんびりした牧歌的ムードがサーベルの老人の出現により一気に凄い(=気味が悪いこと。本来の意味)ムードに変わる。兄弟が老人を追う砂吹雪の場面が相当不気味で、ちょっとシェークスピアの「マクベス」の気分がある。実は妹は恋人より兄を慕い、兄も実の妹ではないとは承知する彼女を強く思っている。二人の場合は血が繋がっていないが、立場上の近親相姦であり、昔からの悲劇の匂いが感じ取れる。

そして、その背後にあり、作品の後半のムードを決定するのが白人のインディアンへの差別、恐怖、そして憎悪である。それだけに字幕が“先住民”では、この映画の価値を損なってしまう。“先住民”という言葉には恐怖も憎悪も、まして差別が内包されていない。差別をテーマにした作品において、差別語だからとその言葉を他の無難な言葉に変えては、テーマが殺されてしまう。勿論これは翻訳された方の責任ではない。そういうことを要求するTV局実際にはそれをTV局に強いる社会の責任である。
 この映画を「インディアンを差別するひどい映画」という意見にも同じ問題が横たわる。西部開拓時代インディアンは恐れるべき存在であり、恐怖から生まれる憎悪や差別が厳然とあった。その事実を映画の中で描いたと言ってひどい映画なのだろうか? ハッピー・エンドのロマンスとして終わらせたことが一部の観客にそういう誤解を生じさせるのである。難点と言って良いかもしれない。

ところで、家をめぐる環境が展開に巧く生かされている。小さな崖の下に家が建てられ、屋根が崖の上の土地と平らに繋がっている。牛が時々屋根までやって来る。オードリーとリリアンが牛に文句を言う。その環境が終盤インディアンの襲撃に対抗する時に生かされる。籠城しての闘いが迫力満点で、ヒューストンは一度家を離れたマーフィーが戻ってくるまで家の敷地の外にカメラを出さず、“一家”の闘いであることを強調する。描写が散漫にならず、さすがである。
 インディアンの闘いに備えて奏でる音楽に、一家がピアノで対抗する場面も異彩を放つ。悲劇ムードの強い異色西部劇と言うべし。

The Unforgiven の訳は邦題で正解。The+形容詞(過去分詞)はそれに該当する人々を指す。原題は事象を指すと推測し、人を指す邦題に違和感があるという意見には文法上の誤解がある。「許されざる者」はインディアンではなく、民族を超えて恋をする(血の繋がらない)兄妹のことである。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 インディアンとの混血娘役のオードリー・ヘップバーンの無駄遣い(笑)なんて、若い映画ファンには、すこぶる評価の低い作品であります(笑}
僕は、彼女は好演だと思うし、フォトジェニックなだけの女優ではなかったことも、この映画で証明しています・・。
もっと、ヒロインの悲劇性を追求し、生まれと育ちとのギャップに苦しみ、大いに葛藤する筋立てならば・・。
 
 実はぼくは、淀長さんではないですが、サイレントの名女優リリアン・ギッシュの大ファンでして・・机上にポートレートも飾ってあります(笑)
若いころは妖精のように美しいですが、「シャイニング」の元ネタみたいな恐怖シーンのある「散り行く花」の、目で自在に感情を表現する演技など、無声時代に培った実力は素晴らしい。アメリカ女性としては小柄で、年をとっても可愛らしく儚げなところも魅力です。
晩年の「八月の鯨」も大好きな作品・・。

それと、不評の理由は、プロフェッサーが挙げられていますが、ベトナム戦争を西部劇に置き換えて、白人の悪を追求した「ソルジャー・ブルー」や、弱者(インディアン)が強者(白人)を懲らしめるカタルシスのある「ダンス・ウィズ・ウルブス」のような問題意識がないと・・。

しかし、この作品でも、奪ったのは白人で、奪われたのがインディアンだということが明確に表現されていますね。
イーストウッド版の原題は「Unforgiven」で、こちらのタイトルはThe が付いているので、意味としては絶対に許されない者たち=白人、という意味も、ジョン・ヒューストンは込めたと思いますね・・。
浅野佑都
2018/08/16 23:15
浅野佑都さん、こんにちは。

>オードリー・ヘップバーン
アメリカ生まれの女優には出せないムードがありましたねえ。無理にモンゴル系に見せなかったのは却って良かったと思いますね。

>もっと、ヒロインの悲劇性を追求し、生まれと育ち
>とのギャップに苦しみ、大いに葛藤する筋立てならば

彼女が最後にインディアンの実兄を殺す場面があり、僕は心の葛藤をオードリーの僅かな表情と間(ま)に感じたものです。
しかし、それを感じ取るのはなかなか難しいので、もう少し明確にしたほうが良かったかもしれませんね。

>リリアン・ギッシュ
可愛らしいです。この彼女の可愛らしさを逆手に使ってもいますね。
「八月の鯨」は素敵でした。年下のベティ・デーヴィスが姉役でしたね。凄い共演でしたよ。

>問題意識がないと
現在の作品は過度に説明してしまうことが多いので、“事実”だけで終わってしまうと、問題意識がないと捉えられかねない。昔の映画を観るには頭を鍛える必要があるのでは? この映画は決して“インディアンが排除されて白人万歳”の映画ではない! 最終的に全てが敵となってしまったこの一家の真の敵は白人でしたね。行間を読まないといけない。

題名は、混血は許すまじという白人の価値観・宗教観による「許されざる者」の意味と考えますが、これ自体が作者側の皮肉なので、仰るように、インディアンから奪いインディアンを差別する白人全体を指すと考えることもできますね。

映画は見た目ほど簡単には理解できない、です。
オカピー
2018/08/17 23:00

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