映画評「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2017年アメリカ=カナダ=ニュージーランド合作映画 監督マット・リーヴズ
ネタバレあり

寓意劇として面白く観られたシリーズの第3作。完結編らしい。僕が危惧したように戦闘シーンが多くてやや単調になるも、出来栄えは前二作とそれほど差がなく、十分楽しめる。

平和主義者ながら個別的自衛権を行使せざるを得なくなり、やむなく類人猿の仲間を率いるリーダーとなったシーザー(パフォーマンス:アンディ・サーキス)が、攻撃してきた人間の兵士を捕えながら生きて帰すも、妻子を殺され復讐の鬼と化し、数名の仲間たちとその張本人の大佐(ウッディー・ハレルスン)を平らげようとその要塞に向う。
 途上、口の利けない人間の少女(アミア・ミラー)を救い、さらに口の利ける動物園育ちのバッド・エイプ(パフォーマンス:スティーヴ・ザーン)を加え、いよいよ現場に着いてみると、別行動をしていた類人猿たちが捕えられている。その中にはもう一人の息子コーネリアスがいる。
 結局大佐に捕えられたシーザーは、大佐が人類の中でも孤立していることを知り、その間隙をついて仲間との呼吸よろしく全頭の脱走に成功する。その直後に要塞に攻撃が加えられ、その衝撃で猛烈な雪崩が起きて人類はほぼ呑み込まれ、類人猿たちは生き延びる。

第一作で類人猿が人類並みに知能を発達させ、人類が激減した理由を見せ、この第三作で人類の知能が劣化した理由が判明、一応旧シリーズの第一作に設定的に繋がって行く。

一作目で科学万能主義への警鐘、二作目でタカ派同士の対立(角の突合い)は戦争にならざるを得ないこと即ち人類の愚を示した。この三作目ではそれを総合し、壁は役に立たないとトランプ政権をほんの少し揶揄する。
 旧シリーズは三作目以降1960年代のブラック・パワーの社会現象をそのまま類人猿に転用、余りに直截になって面白味がなかったのに対し、新シリーズは類人猿の特徴を大いに生かして人間の単なる擬猿化(?)に終わらせず、ぐっと品格のある作品群となっている。

救われる少女はノヴァと名付けられる。欧州言語に詳しい人ならこれが“新”を意味すると想像するだろう。人間としては“新”とは言えない立場ながら、聖書的な解釈ができないこともない。類人猿の中に生きる人間として“新”なのかもしれない。

VFXはいつもながら圧巻で、昨日のインド映画「バーフバリ 王の凱旋」の貧弱なVFXと比べてその精度の差は百倍くらいありそう。

聖戦・・・嫌な言葉だ。

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