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zoom RSS 映画評「光をくれた人」

<<   作成日時 : 2018/07/15 11:03   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2016年イギリス=アメリカ=ニュージーランド合作映画 監督デレク・シアンフランス
ネタバレあり

ブルーバレンタイン」でも夫婦の愛情を取り上げたデレク・シアンフランスがまた夫婦の人生行路を見つめた作品だが、ある意味奇想天外と言って良い。見応え抜群で、完成度では「プレイス・ビヨンド・ザ・バインズ/宿命」より落ちるかもしれないが、ぐっと解りやすく普遍的な感動性があり、広く受けるのではないか。

オーストラリア。第一次大戦の戦場から帰って来た青年マイケル・ファスベンダーが罪悪感に苛まれ、本土から遥か離れた無人島の灯台守になる。正式採用の手続きをする為に本土に戻り、灯台へ行く人々の世話をしてきた家の娘アリシア・ヴィランダーと恋に落ちて結婚するが、夫婦は二度の流産に遭遇する。
 そんなある時、ボートが漂着し、男性の死体と共にその子供と見られる乳児を発見すると、もはや子供は産めないと絶望する細君は、報告義務を主張する夫君を懸命に引き留め、結局二人は男性の死体を埋め、子供を流産した子供の代わりにルーシーと名付けて育てることにする。
 かくして夫婦は赤子を本土に連れ帰って洗礼を行う。この時彼は教会で墓参する女性レイチェル・ワイズを発見、その碑銘により彼女がルーシー(彼女にとってはグレースという名)の実の母親を知り、罪悪感に苛まれ、こっそり手紙を投函する。これにより赤子の生存が世に知れ渡る。
 凡そ4年後教会で幼女になったルーシーとレイチェルが母子とは知らず再会、これを見たファスベンダーは船に発見したガラガラをレイチェルに送る。そのガラガラを彼の家で見た若い船乗りが当局に連絡(描写はない)し、ファスベンダーが逮捕される。
 娘を奪われたことに憤懣やるかたないアリシアは夫が無実であることを示す証言をせず、彼は男の殺人の容疑でも裁判に付されることになる。しかし、最後の最後に真実を官憲に告げる。一方のレイチェルも亡き夫の赦す精神を思い出し、二人の減刑を願う。
 凡そ30年後赤ん坊を連れ、ルーシー=グレース(フローレンス・クラーリー)が妻に死なれたばかりのファスベンダーの前に現われる。

究極の選択、即ち人間の内面の葛藤が連続するお話である。事実を報告するか否か、という場面が何回も夫と妻それぞれに訪れる。神様がどうのこうのという内容ではないものの、彼が善人であったが故に訪れる法律による裁き。不条理な感じさえある。それについて彼自身は戦争で人を殺した罪が“追いついた”と考え、自分の死を避けようとはしない。

全体としてはよく作り込まれた大衆映画とは雖も、泣けるという観点でこの映画を判断するのはどうかと思う。レイチェルを含めた3人がそれぞれ葛藤・苦悩する様こそこの映画の見どころである。常に対峙する相手がもう一人の自分(良心)であることが胸に迫るではないか。
 ルーシー=グレースは一時的には気の毒であるが、実母もアリシアに優るとも劣らない素晴らしい母親であったから救われる。レイチェルの父親がルーシーという名に拘る孫娘にルーシー=グレースという名を授けるのが物凄いファイン・プレーで、僕は非常に感銘した。これで幼女は本当に救われたと思う。

先日の虐待事件で亡くなったあの幼女は本当に可哀想だった。親は本当に躾のつもりだったかもしれないが、頭が硬直化していてどうにもならない。躾は親の自己満足の為にするものではない。

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光をくれた人
1918年、オーストラリア。 第一次世界大戦に出征したトム・シェアボーンは、心に深い傷を負った。 帰国後、絶海の孤島ヤヌス島の灯台守となったトムは、イザベルという女性と出会い結婚。 孤島での新婚生活は幸せだったが、イザベルは流産を繰り返してしまう。 そんな時、島に赤ん坊と死んだ男を乗せたボートが流れ着いた。 二人は赤ん坊を実の娘ルーシーとして育てるが、2年後、本当の母親がいることがわかる…。 ラブ・ストーリー。 ...続きを見る
象のロケット
2018/08/15 16:11

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
 ネタを晒すようですが、この映画は、2017年のぼくのベスト10入り作品でして、劇場鑑賞時には、周囲の席の多くの女性たちも目頭を押さえていました。

 レビューに多い、妻アリシアのエゴに対する批判ですが・・ヒロインの行動だけを見ているような・・。

映画の舞台となった無人島ヤヌス・ロックが、二つの顔を持つローマ神話のヤヌス神を差すように、二人の母親、二つの名を持つ娘ルーシー=グレース等、この映画では二極性がテーマになっており、親と子、理性と情動、罪と赦し、喪失と再生――など多義的な概念の間に差し込まれる光明こそが、人が本来持つべき優しさなのだと訴えているかのように思えてなりませんね・・。

 プロフェッサーは優しいのでスルーされましたが(あるいは、すでに呆れておられるのか)
配給会社は『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』のほうは、原題そのままの邦題なのに、この作品にはみっともない(笑)邦題を・・。
 さしずめ、前作には『宿命にただよう人』などと付ければ良かったことになる・・。
物語の奥深さが殺がれるというものでしょうに・・。
浅野佑都
2018/07/16 03:14
浅野さんに一票!
ほんと、みっともないってばこの放題。(笑)
男女の痛恨さを描いて巧い監督さんですね。
でも、個人的には、何か足りなかった気がするの。
2月にちょこっと書いてました。
http://blog.livedoor.jp/vivajiji/archives/52209696.html
vivajiji
2018/07/16 05:41
浅野佑都さん、こんにちは。

>ヒロインの行動だけ
そう思います。
 作品のテーマ性を別にしても、彼女にだって葛藤はあったはずです。
 また、平常である時の道徳を、異様な状況下にある彼らに当てはめようとするのも僕は疑問です。

>二極性・・・優しさ
罪と赦し。赦しは優しさであると同時に強さですよね。優しさは弱さであるという意見が映画では良く聞かれますが、優しさはやはり強さですよ。

>邦題
僕は需要と供給の関係と思っているんですよ。
 この手の感情・感傷に訴えるような邦題は、大衆がこういうのを求めなくなるまで無理だと。尤も、観客を馬鹿にするなよ、というご意見も聞かれます(笑)
 「われらが背きし者」なんてのもその類で、文語を取り込みながら口語であるという出鱈目さ。“背きし”で恰好をつけたつもりなのに“われらが”は口語。「君はひとりじゃない」というポーランド映画の原題は「肉体」。これは最後にかかる曲のタイトルから戴いているので配給会社だけのせいではないですが、「君」と観客に迎合する邦題は余り愉快ではないです。言い出したら毎日のようになってしまう。
 日本人の国民性は、題名に内容と感傷性を求めます。これはなかなか変わって行かないのではないですかねえ。
オカピー
2018/07/16 21:42
vivajijiさん、こんにちは。

今気が付きましたが、URL欄が閉じられていたんですね。申し訳ございません。
古い記事を訂正して投稿すると、こういうことになることがあります。

>男女の痛恨さ
「ブルーバレンタイン」も巧かったですね。

>何か足りなかった
ふーむ、何でしょうかなあ。
起承転結がきっちりとしすぎているところでしょうか。
オカピー
2018/07/16 21:52

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