映画評「独立愚連隊西へ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1960年日本映画 監督・岡本喜八
ネタバレあり

一か月ほど前に再鑑賞した「独立愚連隊」の続編で、この後6本ほどシリーズとして作られることになる。本作も二回目と思うが、余り記憶がない。スタッフ・キャストは前作からの続投組が多いものの、お話は前作とは全く関係ない。

北支(中国北部)、戦闘中に天皇の謂わば御名代たる連隊旗が失われる。そこで戦死公報の後で生還した兵士で構成されている加山雄三の小隊即ち左文字隊が旗探しに駆り出され、旗を奪って日本軍の士気を下げようとする八路軍と軽く交戦しながらピンチを潜り抜け、旗を連隊に持ち帰る。

天皇の御名代だから旗なのに“救出”という扱いで、この序盤から戦争の狂気を漂わす。
 何故かキャスト表ではかなり下位ながら、加山雄三の次くらいに活躍するのが便利屋・中谷一郎で、左文字隊のフィクサー的な存在として序盤から大活躍する。
 次に活躍するのが一等兵の堺佐千夫。中谷が連隊に向かう途中の参謀中佐を殺して、堺を中佐として乗り込ませ、仲間に捕えられていた加山らを救出する。
 その後旗を発見した彼らは自称元日本軍人・中丸忠雄率いる中国軍と一戦を交えた後、仲間に加わった中丸(実は中国人)と、出世の為に小隊に付いてきた曹長・山本廉との間で旗の争奪戦を繰り広げる。

この作品の中で一番人間的に卑しいのはこの曹長で最終的にひどい目に遭う。それと対照的なのは八路軍の小隊長フランキー堺で、加山少尉と粋なやり取りをして、結局この両隊の対峙では一人も死者が出ない。

脚本を共同で書いた岡本喜八と関沢新一が目指したのは、軍という組織の通しての戦争批判である。本作における軍では個人主義がかなりまかり通っている。加山やフランキー堺は国や軍全体の利益よりその場その場の情勢で行動を決める。こんな軍人は実際にはまずいない。そこにアンチ全体主義の主張がある。結果的に小隊は生き延び、国力維持に貢献する。
 現在の日本にも少しいるであろう軍国主義者は、ヒューマニズムいっぱいの幕切れをけしからんと思う(だろう)が、大多数の日本人はこれを「でかした」と拍手する。それが1946年以降の大多数の日本人の感覚である。

平和ボケした若者の中には「戦争って格好いいじゃん」と思っている者もいるそうだが、21世紀に入って作られ始めた戦争を美談的に捉える映画がそういう勘違いを生むのだろう。悪意はないのであろうが感動を大安売りしたがるTV局が映画を作り始めた弊害の一つである。戦争は人々を狂気に陥らせ、戦場でも銃後でも悲劇を生む。そんな当たり前のことが解らなくなっている。
 翻って、昨今の軟弱な戦争映画に比べこの岡本作品はどうであろうか。国家権力や全体主義的思想への反骨精神でいっぱいだ。誠に格好悪くて格好良い、そんな感じである。

しかし、第一作より喜劇性を前面に押し出した為、純然たるブラック・コメディーでなくなっている。寧ろ軍隊批判が直截になり皮肉っぽさは減じている。映画サイトを訪れると、10人中7人くらいが第一作よりこちらのほうを推すが、その直截性をメッセージ性の強さと勘違いしているのではないか。第一作には大分及ばないというのが僕の感想である。

北朝鮮のミサイル問題をここまで騒いでいるのは日本だけらしい。政権は北朝鮮の脅威を強調して防衛費を増やす算段かもしれないが、視聴率を稼ぎたいTVも騒ぎすぎだ。結果的に北朝鮮を喜ばすことになる。国民はあわてず騒がず、泰然と構えるべし。

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