映画評「アッシャー家の末裔」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1928年フランス映画 監督ジャン・エプスタン
ネタバレあり

エドガー・アラン・ポーの有名な短編「アッシャー家の崩壊」をフランスのジャン・エプスタンが映画化したサイレントの秀作である。長いこと観たかったがBSにも出ず図書館にもなかったので暫くはダメかと思ったものの、Youtubeで発見した。欣喜雀躍しつつ、オリジナル字幕フランス語のポルトガル語対訳なので一年も放置してしまった。昨今WOWOWのラインアップが全く冴えないので遂に見た。
 しかし、フランス語もポルトガル語も解らないので、映像は堪能したもののストーリーが半分くらいしか解らない。で、念の為に日本語対訳がないかと調べてみたら何とあり(日本語版があるということはDVDが発売されているということ)、もう一度最初から観直したら、映像の意味合いも正確に理解できて抜群に面白かった。

ルイス・ブニュエルが脚本に参加し、広い意味で前衛映画に属するのだろうが、同じ年に作られた「アンダルシアの犬」のような難解さはない。

老紳士アラン(シャルル・ラミ)が、妻マドレーヌ(マルグリート・ガンス)の重病を知らせて来た旧友ロデリック・アッシャー(ジャン・ドビュクール)を湿地帯にあるその古い屋敷に訪れる。
 アッシャー家には代々妻の肖像画を描くという伝統があり、マドレーヌはどうもその絵の進行に連れ衰弱していくようなのだ。逆に絵は生き生きとして来、アランに外出させて完成させようとした時遂に妻は息絶える。葬儀を終えた後も死んだとは思えない彼が怏々とするうちに外では雷鳴が鳴り響き、家の所々で火が起こるうち、ロデリックの直感正しく、蘇ったマドレーヌが現れる。やがて崩落し始めた屋敷を後にした三人が振り返ると、屋敷は沼に沈み、沼地は無数の燐光が瞬くのみ。

という物語は「アッシャー家の崩壊」に基づいているが、「楕円形の肖像」「リージア」の要素を加えて再構築しているので、マドレーヌは妹から妻に変わっている(間違いの指摘があるが、allcinemaの梗概は正しい)。

サイレント映画まして前衛映画ではお話より画面に魅せられることが多いが、本作も視覚が抜群。色々なテクニックを駆使している中で目立つのは、カーテンや時計の振り子などを捉えるハイスピード撮影(スローモーション)で、スローが得も言われぬ幻想性を醸成し、抜群の魅力を放つ。妻が倒れる場面で絵を描く夫をリアルタイムに、倒れる妻をスローにして切り返すところが素晴らしい。

雷鳴がとどろく中時計が止まり、ギターの弦が自然に切れるところは、全くの無声で観たが音が聞こえてくるような大迫力で、本来の意味で物凄く(不気味の意味なり)ものすごい(言葉遊びデス)。圧巻と言うべし。
 このシークエンスでは時計の振り子が「陥穽と振り子」を思い起こさせ、猫が姿を見せるのは「黒猫」を意識しているようで、ポーの小説群を知っている人にはこうした部分も楽しめる要素となる。

主人公が歩く場面で縦の構図を意識させ、それを横の構図のショット群とをカットバックするところや、細かいフラッシュバックが実はフラッシュフォワードなのではないかと思わせることにも吃驚させられる。

映像テクニックの展示会のごとし。

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この記事へのコメント

2016年11月16日 23:29
こんばんは!

楽しまれたことと思いますww

無音なのに音をはっきりと感じますね。
TBを入れておきますね!

ではまた!
オカピー
2016年11月17日 16:46
用心棒さん、こんにちは。

ポルトガル語対訳版で観た時、映像は凄いけれどお話がよく解らず空回り気味でしたが、日本語対訳で観てお話が解ると、その凄い映像が益々迫力が出て来るんですね。実に凄かったデス。

>音
ビックリしました。
お世辞でそういうことを言ったりしますが、本当に聞こえましたよ。その意味では「狂った一頁」の最初の雨なんかもそんな感じがしました。優れた監督はこういうところの表現が一味違うのでしょうね。

>TB
お返しに伺います。

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