映画評「全身小説家」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1994年日本映画 監督・原一男
ネタバレあり

「ゆきゆきて、神軍」が話題になった原一男監督が、作家・井上光晴の晩年に密着したドキュメンタリーである。この作品が公開された頃はまだ都心に近いところに暮らしていたので、その気になれば同時代に観ることができたはずだが、引きこもり癖がつき始めの頃につき観ないまま今日に至る。

ところで、その井上光晴については映画ファン故に「地の群れ」の原作者であることを知っている程度ながら、昭和40年代以降の文学には疎い僕も戦前生まれの方だけに名前だけはよく知っている。だから、興味があるとも興味はないとも言えるが、とにかく【キネマ旬報】1994年度邦画部門第1位の評判作なので見ないわけには行かない。

本作を構成する要素が三つある。
 一つは彼の設立した“文学伝習所”に通う女性たちの存在である。“伝習所”には男性も少なからずいらっしゃるが、証言するのは方言から我が群馬県出身と思われる高齢男性を除くと女性ばかり。何故かと言えば井上氏は知る人ぞ知る好色漢であり、目に入った女性に片っ端から言い寄っているからで、現にその証言は文学に関係ない恋慕関係にほぼ終始している。
 第二は酒好きゆえに肝臓から発した癌との闘いで、肝臓切除の手術模様までしっかり収められている。本人はともかく病院がよく許可したものである。最終的に彼は大腸癌で亡くなったらしい。

そして一番面白いのは、彼の経歴が虚構と判る部分である。旅順という出生地も嘘なら、父親の放浪のためにお金がなく中学に行けなかったというのも嘘で実は不合格だったのである。父親は放浪どころか家にちゃんといた。
 出て行った母親に後年会いに行ったが会わずに帰って来たという嘘は本人が真実を告げているが、この時瀬戸内寂聴に「その後は会っていない」と言うのもどうやら嘘らしい。“不都合な真実”があってついた嘘、文学風に言えば虚構。彼の経歴には詐称ではなく小説的な虚構が多く、先輩で友人の作家・埴谷雄高が「全身小説家」と名付けたのも“むべなるかな”と言いたくなる。

他方、その彼の「人生の事実である部分であっても取捨選択して繋げることにより、それは虚構となる」旨の発言には膝を打たせるものがある。これは本作のようなドキュメンタリーにもよくあてはまると思う。捉えた描写の一つ一つは事実でありながら、どこを落としてどういう風に繋げるか・・・そこに主観がある以上これは一種の演出に他ならない。僕が常々思ってきたことだ。ドキュメンタリーこそ観照的であることは難しい。
 その意味で、虚構の人生を外部に提示してきた井上光晴にとって、病院での様子は嘘のつきようのない事実である。その対照を見せたところに本作の価値があるように思う。

全身小説家なら良いが、満身創痍なら怖い。

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2015年09月20日 19:22
病院の許可・・・井上光晴さんが説得したのかも・・・後世に残したかったのかも・・・
かなりの奇人であることは間違いありませんがね。
オカピー
2015年09月20日 20:59
ねこのひげさん、こんにちは。

井上光晴氏は、現在鋭意処理中(笑)の大古典が読み終わったら、読みたい作家ですね。一般の人にとっては彼が既に古典時代の人なんでしょうが・・・

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