映画評「ブルーバレンタイン」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2010年アメリカ映画 監督デレク・シアンフランス
ネタバレあり
ヒッチコックなら「こんなどこにでもある人生を描いてどこか面白いんだ」と言いそうなホーム・ドラマで、娘(フェイス・ウラディカ)のいる結婚7年目の夫婦の物語。
夫ライアン・ゴスリングは娘には甘い父親で、娘を厳しく学校に行かせようとしている妻ミシェル・ウィリアムズの淡々とした言動とは対照的な様子を見せるのが第一エピソードで、看護婦をしている彼女がこういう態度を取るのは朝から酒を飲みいい加減なペンキ屋稼業に満足している夫に対する不満があるからで、その不満を募らせる彼女に今度は夫が不満を抱いて行くという構図。こうなると相手の一言一句が気に入らない最悪の状態なるのは必定・・・と言いますか、どこかで見た風景でありますな(推して知られよ)。
遂には酔った彼が妻の勤め先である病院で暴れた為に彼女が首になり、引き返せないところまで行ってしまう。
というのがメイン・ストーリーで、これだけでは犬も食わないつまらない夫婦の喧嘩話だが、その間に配達業をしていた若きゴスリングが医師を目指して介護のボランティアをしていたミシェルを偶然見かけて気に入ってしまい、猛烈にモーションをかけてそのハートを射止め結婚にゴールインする過去が単純な回想ではなく随時挿入され、その幸福な様子が進行中の絶望的な状況を際立たせていく、というアイデアが取られている為なかなか興味深く見られる。類似する手法が失恋映画「(500)日のサマー」で取られていたが、本作はリアリズムに徹底し、正にセミ・ドキュメンタリー映画として推奨するに値する出来映えになっている。
元来ご贔屓にしている女優ミシェル・ウィリアムズも抜群の好演。
と言いつつ星が低めなのは、二人が小さな瑕疵は持ちつつも大きな欠点のない人々なのに上手く行かない姿に、気分が変に鬱屈してしまうからである。人間というのは実に厄介な生き物だ。
監督及び共同脚本はデレク・シアンフランス。
行方不明になる犬は、二人の愛のメタファーでござるな。最後は・・・。
2010年アメリカ映画 監督デレク・シアンフランス
ネタバレあり
ヒッチコックなら「こんなどこにでもある人生を描いてどこか面白いんだ」と言いそうなホーム・ドラマで、娘(フェイス・ウラディカ)のいる結婚7年目の夫婦の物語。
夫ライアン・ゴスリングは娘には甘い父親で、娘を厳しく学校に行かせようとしている妻ミシェル・ウィリアムズの淡々とした言動とは対照的な様子を見せるのが第一エピソードで、看護婦をしている彼女がこういう態度を取るのは朝から酒を飲みいい加減なペンキ屋稼業に満足している夫に対する不満があるからで、その不満を募らせる彼女に今度は夫が不満を抱いて行くという構図。こうなると相手の一言一句が気に入らない最悪の状態なるのは必定・・・と言いますか、どこかで見た風景でありますな(推して知られよ)。
遂には酔った彼が妻の勤め先である病院で暴れた為に彼女が首になり、引き返せないところまで行ってしまう。
というのがメイン・ストーリーで、これだけでは犬も食わないつまらない夫婦の喧嘩話だが、その間に配達業をしていた若きゴスリングが医師を目指して介護のボランティアをしていたミシェルを偶然見かけて気に入ってしまい、猛烈にモーションをかけてそのハートを射止め結婚にゴールインする過去が単純な回想ではなく随時挿入され、その幸福な様子が進行中の絶望的な状況を際立たせていく、というアイデアが取られている為なかなか興味深く見られる。類似する手法が失恋映画「(500)日のサマー」で取られていたが、本作はリアリズムに徹底し、正にセミ・ドキュメンタリー映画として推奨するに値する出来映えになっている。
元来ご贔屓にしている女優ミシェル・ウィリアムズも抜群の好演。
と言いつつ星が低めなのは、二人が小さな瑕疵は持ちつつも大きな欠点のない人々なのに上手く行かない姿に、気分が変に鬱屈してしまうからである。人間というのは実に厄介な生き物だ。
監督及び共同脚本はデレク・シアンフランス。
行方不明になる犬は、二人の愛のメタファーでござるな。最後は・・・。
この記事へのコメント
どう書きましょうかと考えてる内に、まっいいかで終ったみたい。
ただ、ミシェル・ウィリアムズが、離婚に至るまでの、日々の小さな積み重ねのズレからくる苛立ちや揺れ動く心の有り様を見事に演じてましたよね。彼女はほんと上手い。彼女をみていると役を演じるごとに一皮一皮剥けていくように、ますます役者として魅力が表れてくるようで、演じるごとに新鮮な印象を受ける。彼女の演技が高く評価されている「マリリン7日間の恋」の公開も楽しみです。
非常に良い映画と思うけど、これは辛いですよ。
同じような経験をしている人は多いでしょうねえ・・・
ミシェル・ウィリアムズは抜群。新人時代から大のご贔屓です。
やはりゴスリングも上手いですけどね。数年間で大分老けた感じがしますねえ。
たとえ、美人が出ていても、現実とは違った状況を見たいと思うのが人間なのでありましょう。
映画の基本は夢ですからね。
悪夢でも良いから現実とは少し違うものを求めるのが一般的な映画ファンというものでしょう。
戦前から文学・映画は現実的であることが求められていましたが、それは現実そのものという意味ではありませんよね。最近のセミ・ドキュメンタリーの作家は現実的であればあるほど良いという勘違いをしていましてつまらん映画ばかり作っとる、というわけです。
本作、映画としてはなかなか立派でして、僕の言う“つまらん映画”ではないですけどね。