映画評「真昼の決闘」

☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1952年アメリカ映画 監督フレッド・ジンネマン
ネタバレあり

何代か前の総理大臣が引用した記憶がある余りにもお馴染みの西部劇。

若妻グレース・ケリーと結婚して辞任したばかりの保安官ゲイリー・クーパーが町を去ろうとした矢先に、5年前に彼が捕縛したアイアン・マクドナルドが釈放されて彼に復讐しようと手下三人が控えている町にやって来るという情報が届く。一度は妻と町を離れるが、逃げても追ってくるだろうという思いや自分がいなくなった後町は再び荒れるだろうといった思いにかられて引き返すことにする。
 しかし、彼はそれまでの西部劇の主人公のような無敵なガンマンにあらず、応援を頼もうとするが、助手のロイド・ブリッジスは自分を後任に推さないと逆恨みするし、命には代えられないと逃げ出したり引きこもる者あり、結局誰の協力も得らないまま、正午着の列車が予定通りにやって来る。かくしてクーパーは一人で四人を相手にする羽目になる。

ダイ・ハード」でも引用があった孤立無援の状況で如何に彼が決闘するかをハイライトとしているものの、寧ろ映画として心理的サスペンスが際立つのは彼が人々の協力を求めて歩き回るシークエンスである。その合間に駅で親分のやって来るのを待つ三人組と線路の描写を挟んで緩急を巧みに付けているが、通常とは逆に三人組の場面が緩の役目を果たしているのが興味深い。

本作の一番の特徴は、上映時間85分にして午前10時35分くらいに始まり正午過ぎに終わるというほぼリアルタイムでの進行という形式を取ったことで、この作品の前にも一本や二本あったかもしれないし、その後は勿論何本も作られているが、この作品ほどそれが緊張感に繋がった作品は記憶にない。序盤時計を映し過ぎるのが些か気になるとは言え、時計が緊張を盛り上げる模範的な作品になっている。

音楽はディミトリ・ティオムキンの有名な主題歌(主題曲)だけでほぼ通している。特に今回は打楽器を使った伴奏が列車の音を表現しているような気がしたのだが、如何?

監督はメロドラマ隆盛の当時リアリズム演出で知られていた名匠フレッド・ジンネマン。カール・フォアマンの脚本を見事に生かしたさすがの演出だった。

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年09月07日 07:09
決闘にいたるまでの緊張感がすごかったですね。あれだけ尽くしてやったのに、いざとなるとみんな逃げ出すのか・・・・・・人間の悲しさがよく描かれてました。(-_-;)
ほぼリアルタイムで進行しているのは忘れてました。最近で有名なのは『24』というのがありますけどね。
1話1時間で、24回で24時間で完結。
なにもそこまでやらなくても・・・でしたが。
オカピー
2011年09月07日 19:05
ねこのひげさん、こんにちは。

正義感が仇になるお話でしたね。正義の人間が必ずしも好かれるわけではないところなど人間の厭らしさも良く表れていました。
最後に若妻が意外と活躍するのはすっかり忘れていました。

>ほぼリアルタイム
40年ほど前TVで初めて観た時映画雑誌の紹介でもそれが強調されていた記憶があります。あの時代は他にそれほど例がなかったかもしれません。

>『24』
そうらしいですね。
例によって僕は観ていないんですが^^;
2011年09月23日 02:29
オカピーさん、この作品は何年も前に観たきりなんですが、実は強烈なものをわたしに残しているんですよ。
そして、オカピー評は満点ですから、更に強烈です(笑)。
詳しく知らないんですが、察するところフレッド・ジンネマン監督って、凄く優等生だったんではないでしょうかね。優等生が悩み苦しんで、何か大切なものを見つけると、このような素晴らしい作品を創作できるような気がします。
ゴダールとか、日本の独立プロの映画作家たちなんかは、優等生になれても、ならない人々で、ましてアラン・ドロンなんか、どだい優等生になりたくてもなれない、そんな人たちと基本的にスタートラインが異なるように思うんですけれど、辿り着く本質は共通の世界観であるような・・・そんな感動がありました。
貧乏くじをひいても、決して投げ出さずに、最後まで責務を果して・・・でもそこには、なにか空しいものがある。
エイゼンシュテインやチャップリンなんかの時代には、敗北にも未来を持てたように思いますが、この時代は勝利にも未来がないようなペシミズムを感じます。
本当に大切なのは、死を覚悟できるような、極論すれば敗北してもいいと思えるような人と人との信頼関係、とにかく人を信頼できること・・・にも関わらず、それなくしての勝利・・・。
ラストシーンのゲーリー・クーパーの表情には疲労感しか、わたしは見て取れませんでした。
あるいは、裏街道の世界、人生を降りたところからスタートしていれば、最初から人など充てにできないスタイルを取れるのですが、そこがジンネマン監督の真面目な人柄・・・ゆえに、裏切られた虚無の中で必死に責務を全うしてしまう。
ノワールものの主人公のように、「バカヤロウー、ふざけやがって」と、いつも開き直った生き方をとれるキャラクターなら、もっと楽に鑑賞できたんですけれど・・・。
つらいなあ。
では、また。
オカピー
2011年09月23日 21:02
トムさん、こんにちは。

>満点
厳密に言うと、時計の出し過ぎが気に入らないので9点で良いのですが、やはり大好きなもので。
ゲイリー・クーパーもグレース・ケリーも好きな男女優ですしねえ。但し、この作品のグレースは相当ぎこちなく、ヒッチコックの「裏窓」などに比べると全然魅力薄ですが。

>疲労感
戦前のメロドラマ西部劇とは勿論、戦後のジョン・ウェインの西部劇とは正反対の主人公像であり、作劇・タッチですよね。
戦後という市井の時代性、世界的なセミ・ドキュメンタリー・ブームという映画史的背景もあるでしょう。

ジンネマンは作風においても真面目でしょうね。晩年の「ジュリア」とか「氷壁な女」を観ても、映画哲学が全く変わっていません。こんなに遊びをしない監督も珍しい。
それが他人の脚本とは言え、登場人物の心理を体現するような監督像になっているんでしょうね。気に入らない脚本は全く引き受けなかったらしいので、自ずとそういう作品群となっているのでしょう。

>つらいなあ。
全く大したことないことに苦しんでいる僕の心境です。どうしても開き直れない。
脳がこんなに邪魔に思えた日々は50年以上生きて初めてです。

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