映画評「麦秋」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1951年日本映画 監督・小津安二郎
ネタバレあり

今月(2010年1月)のWOWOW新作部門は不作、そんな時に限って留守録を忘れるケースも多く、再鑑賞の連発となっている。今回も録画ミスの為にスケジュールが空いたので、新聞を見てたまたまNHK-BS2でやると気付いた小津安二郎の傑作中の傑作を観ることにした。映画館で一度、TVでは恐らく三度目になる。

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鎌倉のある大家族の家庭に婚期を逃しかけている28歳のOL紀子(原節子)がいる。父(菅井一郎)・母(東山千栄子)は勿論、兄(笠智衆)や兄嫁(三宅邦子)も彼女の結婚について心配しているが、本人は一向にその気がなく、上司(佐野周二)から良い縁談を持ち込まれてもはっきりした態度を取らず、周囲の人々をヤキモキさせる。ところが、兄の同僚で幼い時から親しくしてきた子持ちのやもお(二本柳寛)が東北へ転勤することになり、彼の母親(杉村春子)が紀子に前からの夢を話した時に彼女は結婚しても良い気になるのである。

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ヒロインの名前が同じ紀子という関連性を別にしても、2年前の「晩春」のヴァリエーションと言うべきお話だが、一方で特に兄夫婦の子供二人と父の兄(高堂国典)にコメディーリリーフ役を負わせてコミカルの要素を加え、お話に変化を与えている。そこで活躍する兄弟二人は「生まれてはみたけれど」以下小津の好きな構図で、「淑女は何を忘れたか」を思わせる女同士の漫談的会話も、既婚派対未婚派の対立ムードを強調して大変楽しめる。

なんだかんだともめた挙句の静けさは「晩春」と共通する持ち味で、彼女が嫁いだ後故郷に戻った両親が感慨にふけるショットの後麦畑を延々と移動ショットで撮り続ける幕切れに観客も思わずじーんとしてしまうに違いない。

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殆ど全編固定カメラで撮られたショットの構図も完璧。カット以外の繋ぎ手法を使わないことによるトーンの統一もその美しさを引き立てて誠に結構だが、厳密に言えば他の繋ぎ(切替え)手法を使ってもトーンを破壊するとは限らない。
 先日亡くなった双葉十三郎先生は、高堂老人が芝居見学をした後数カットを挟んで誰もいなくなった劇場を映すのはトーン統一を目指す時にカット以外の繋ぎ・転換の手法を使わないという映画文法上の拘りがもたらした弊害即ちストーリー展開上は全く意味のない捨てショットである、旨述べている(文責は僕自身)。
 勿論全ての捨てショット(カット)に作劇上の意味がないわけではなく、小津御大ほどの境地ともなれば人のいない廊下が映された時に登場人物の心境がそこに沈潜しているのを観客は感ずることが多いであろう。

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多少文句は言ったものの、何も事件が起きないのにこれほど楽しめる映画を作れるのは小津以外にいまい、と今回もまた以前と同じ感想をもって本稿を締めることにしましょう。

麦秋は秋ではなくて初夏ですのでご注意あれ!

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この記事へのコメント

シュエット
2010年02月10日 11:04
P様おはようございます。
本作に対するメッセージではないんだけど…
>今月(2010年1月)のWOWOW新作部門は不作、
ということは昨年の劇場公開がいかに不作だったか!!
ブログもすっかりトーンダウンし窒息寸前のた昨年の私でしたが、タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」映画観た!!って気分にさせてくれてでようやく息吹き返した状況でした。
本作、録画していて、他にも小津作品放映分は録画しているけど、なかなか見るモードにならなくって…その前に「幕末太陽傳」みなければ…見なければ見なければ…って思っているとどんどん敷居が高くなっていって…小津を味わうところまで至っていませんが、そのうちに小津に嵌ることでしょうね。そん時はヨロシク!
2010年02月10日 14:29
ありゃ。
「麦秋」がアップされてたの見逃しましたばい。

>高堂老人が芝居見学をした後数カットを挟んで誰もいなくなった劇場を映すのは・・・

この時カメラが前後に動きませんでしたっけ?
小津の手法で移動ショットがオカシイと書いた時の該当シーンの一つだったように記憶してますが。
オカピー
2010年02月10日 23:54
シュエットさん、こんばんは。

WOWOWさんも近年の邦画活況をもろに反映している形で、邦画の新作放映が増えていますね。その影響か、洋画のミニシアター系が減っている印象(あくまで印象)があります。寂し。

>小津作品
ふーむ、かなり個性が強いので、合わないと思ったらダメかもねえ。
僕は寧ろ戦前の「生まれてはみたけれど」(サイレント)や「淑女は何を忘れたか」といった辺りがシュエットさんの肌に合いそうな気がします。
オカピー
2010年02月11日 00:01
十瑠さん、こんばんは。

>この時カメラが前後に動きませんでしたっけ?
イエース、移動撮影でした。
しかも、マッチカットするために、その前の誰もいない料亭でもカメラが移動しているんですよ。
相当無理しています。^^
2012年09月02日 03:04
オカピーさん、こんばんは。
レンタルDVDで今朝、観ました。初見でしたのでカルチャーショックもひとしお。
なんて、素晴らしい作品なのでしょうかね。静的スリルの連続、しかし、それにしても小津作品のこの緊張感は何なのでしょうね。
ところで、紀子が義姉と砂丘を歩く後ろ姿を撮っているのはクレーンだそうですよ。被写体をフレーム位置に固定するため、クレーンを使ったそうです。何とも徹底した小津主義ですよね。
脚本も凄い、わたしなんか、出演者のセリフのやりとりで緊張感が最高潮に達してしまいます。

ではまた。
オカピー
2012年09月02日 21:42
トムさん、こんばんは。

蓮実重彦氏によりますと、小津監督は「映画には文法がないのだと思う」と仰ったそうでありますが、その真意は実際には解りません。
しかし、固定であろうと、パン/ティルトであろうと、移動であろうと、ショット単独では存在しない映画文法が、ショットを組み合わせる時厳然と存在するはずである、僕は思います。つまり、モンタージュこそ映画文法そのものではありますまいか。
ただ、小津はショットの組合せにおいて一般的に考えられる映画文法をかなり無視しているところは、用心棒さんも述べていて興味深く、世間で言われるほど保守的で固定観念に縛られているわけではないだろうと思います。
蓮実氏は彼は自由な監督であったと仰いますが、実際どうでしょうか。

ただ、カットで全てのシーン、シークエンスを繋ぐという当時としては珍しいタイプの監督であった小津は、現在のハリウッド映画の大半がカットのみで繋いでいるのを観て天国で満足しているでしょう(笑)。
しかも、都会を舞台にする場合廊下の代わりに彼らは空撮のビル群を入れる。数年前に僕はやっとこれが小津の廊下に相当することに気付いたのですが、如何?

小津の追従者は世界に多いですが、模倣は絶対できないですね。同じように作るとまず退屈な作品になってしまう。
ストーリーとセリフとショットの構図とカット割り、役者の演技が全て小津の域に行かないとつまらない映画になり果てる。これは明らかです。
ヒッチコックにも似たようなことが言えますが、もっとハードルが高いかもしれません。

>セリフのやりとり
この時のショットの切り替えが絶妙なんですが、我が姉は小津映画独自の台詞に違和感を持ってしまったようです。まあ、あれは慣れないといけません(笑)。
2012年09月08日 22:47
オカピーさん、こんばんは。
>映画文法をかなり無視・・・
例えば対話場面についても後年のトリュフォー(小津批判を改めたあとのトリュフォー)も言っていたそうですが、本当に違和感があるというか刺激が強いというか・・・イマジナリーラインを超えてしまっても、ふすまや柱、床の間の背景があり、ちゃぶ台や箪笥などの調度品があり、二人が対面しているミドルショットがあれば、ちゃんと対話していることが理解できるわけです。
現在のハリウッド映画の大半がカットのみで繋いでいるのを観て・・・
満足しているのはハリウッドかもしれません。小津はルビッチの影響をかなり受けていることはオカピーさんの別記事でもご指摘のとおりですから・・・もしかしたら、空撮のビル群の代わりに小津は廊下を入れていたんじゃないでしょうか?逆説的過ぎるかな??
>小津映画独自の台詞
俳優のキャラクターも小津監督の美意識に取り込まれているからセリフもアドリブ的なメソッドはないんでしょうね。つまり大道具・小道具・ロケ地・俳優・・・全て彼の美意識の「型」であり・・・例えばルネ・クレマンのように撮影中のアクシデントを活用するなんてあり得ない映画作家だったんでしょうね。
当初、トリュフォーが小津を理解できなかったのは、このためだったんだと思います。つまり小津の美意識を理解するまでしばらくかかり、その俳優の良い意味での硬直した演技を理解できなかった。そう考えるとトリュフォーの映画作家としての変遷も理解しやすいです。
>彼は自由な監督・・・
漫然としたフリーダムではなく、鍛え抜かれたリバティという意味では自由だったかもしれません・・・。
では、また。

P.S.オカピーさんの小津批評は完璧だあ。
オカピー
2012年09月09日 22:54
トムさん、こんばんは。

いやいや、用心棒さんのように徹底していませんネエ、僕は。
基本的に、現物主義で直感で判断するケースが殆どですから、とんでもない見当外れもしています。
が、小津はルビッチが好きだろうとか、「東京物語」はレオ・マッケリーの「明日は来らず」の翻案だろうとか、ヌーヴェルヴァーグの先を行っていた中平康はビリー・ワイルダーみたいなところがあるなと思ったら、どうもそれが事実であると後で確認できるなど、勘自体はさほど悪くないみたいです(笑)。

ところで、小津は「これが絶対的に正しいという映画文法はないのだろう」という意味で先の文言を使ったのではないかという気がします。最初から映画文法がないと思っている人が、わざわざ一般的なイマジナリー・ラインを崩して撮るなんて考えられません。最近はそれ自体を知らないのではないかと思える監督もいますが。

小津の作品評を書く際参考にしようかと思った、姉が結婚直後に僕に贈ってくれた蓮実重彦氏著「監督 小津安二郎」が見つからないので、自己研究で適当に書いてきましたが、両親の死で家を掃除していたらひょっこり出てきて、ちょっと読んだところそういう文言が出てきましてね・・・
双葉さんがトリュフォーも好きらしいニコラス・レイの「大砂塵」を酷評したので、蓮実氏は悔しがったそうです。だから双葉塾出身(まだ卒業していないか)の僕が彼の著作を読んでもピンと来ないかもしれませんが、時間があったら読んでみます。その好悪はともかく、参考にならないはずはないですから。

>硬直した演技
若い人に、笠智衆の名演は解らないですよ。NHKの番組で「東京物語」を観た人がセリフが一本調子だのなんだかんだ批判していましたもの。

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