映画評「ミスト」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2007年アメリカ映画 監督フランク・ダラボン
ネタバレあり
遂に「ショーシャンクの空に」が「ゴッドファーザー」を凌駕してImdbの1位になったフランク・ダラボンが同作の原作者でもあるスティーヴン・キングをまたまた映像化。今回はキングの本来のフィールドであるホラー小説である。
ある田舎町、映画のポスターを描いているトーマス・ジェーンが台風の翌日、息子ネイザン・ギャンブルを連れてスーパーマーケットに買い物に行った時霧に襲われ、その霧の中には正体不明の恐ろしい怪物がいるとの報を受け、スーパーに閉じこもる羽目になる。
その存在を信じない者は外に出て行き、或いは狂信的な中年女性マーシャ・ゲイ・ハーデンが恐怖に怯える人々を扇動、紆余曲折の末に脱出を決意したジェーン以下8名の行く手に立ちふさがる。
という閉所型パニック映画で状況的には「ゾンビ」であり「鳥」である。全体のモチーフは「鳥」に近く、その人間縮図的な食堂の場面を数十倍に引きのばして構成したような印象。
昼間のうちは「テンタクルズ」の巨大タコを彷彿とする謎の巨大触手生物の恐怖。謎の巨大生物を巡る大騒ぎという意味では「トレマーズ」を思い出させ、夜になると打って変わって巨大なイナゴと蚊の中間的生物が襲撃、さらにそれを食らう肉食の鳥型恐竜もどきも登場、昆虫パニック映画の様相を呈す。夜明け前に隣のドラッグストアへ数名で行くシークェンスは「ポセイドン・アドベンチャー」脱出行を思わせる。ここで観られる蜘蛛の糸に巻かれた人間は「SF/ボディ・スナッチャー」的、人間の体が謎の生物の巣にされてしまうのは「エイリアン」的発想。
といった具合に、他作とダブる展開や場面が多く二番煎じ・三番煎じとは言え、視覚的見せ場は実に豊富だ。
閉所型パニック映画では人々の間に不協和音が生まれるのが定石で、スペクタクルの間に挟まれる人間模様が型通りで退屈を誘われるケースが多いが、本作では退屈に陥りがちな対立場面を逆手に取って寧ろ心理劇的なハイライトにしたところが注目に値する。勿論芸達者マーシャが怪演する宗教家きどりの女が徐々に人々を引き付け、勢力が二分されていく面白さで、ここからは群集心理の恐怖、キリスト原理主義的だったアメリカ前政権への揶揄が感じ取れる。
びくびくしながら車に乗り込んで脱出というのは「鳥」の幕切れみたいなものだが、この後に続く“驚愕”の幕切れについては本作の作劇スタイルに照らせば予想の範疇で、言われるほど驚愕できるものではない。驚愕はしないものの、やりきれない思いは禁じ得ず、こんなペシミスティックなハリウッド映画は誠に久しぶり。
異常現象が人間の科学的野望に起因することが最終的に判明する構成につき、狂信者の言も強ち間違いとは言えないところに皮肉な怖さがある。
一番怖いのは人間、ということらしい。
2007年アメリカ映画 監督フランク・ダラボン
ネタバレあり
遂に「ショーシャンクの空に」が「ゴッドファーザー」を凌駕してImdbの1位になったフランク・ダラボンが同作の原作者でもあるスティーヴン・キングをまたまた映像化。今回はキングの本来のフィールドであるホラー小説である。
ある田舎町、映画のポスターを描いているトーマス・ジェーンが台風の翌日、息子ネイザン・ギャンブルを連れてスーパーマーケットに買い物に行った時霧に襲われ、その霧の中には正体不明の恐ろしい怪物がいるとの報を受け、スーパーに閉じこもる羽目になる。
その存在を信じない者は外に出て行き、或いは狂信的な中年女性マーシャ・ゲイ・ハーデンが恐怖に怯える人々を扇動、紆余曲折の末に脱出を決意したジェーン以下8名の行く手に立ちふさがる。
という閉所型パニック映画で状況的には「ゾンビ」であり「鳥」である。全体のモチーフは「鳥」に近く、その人間縮図的な食堂の場面を数十倍に引きのばして構成したような印象。
昼間のうちは「テンタクルズ」の巨大タコを彷彿とする謎の巨大触手生物の恐怖。謎の巨大生物を巡る大騒ぎという意味では「トレマーズ」を思い出させ、夜になると打って変わって巨大なイナゴと蚊の中間的生物が襲撃、さらにそれを食らう肉食の鳥型恐竜もどきも登場、昆虫パニック映画の様相を呈す。夜明け前に隣のドラッグストアへ数名で行くシークェンスは「ポセイドン・アドベンチャー」脱出行を思わせる。ここで観られる蜘蛛の糸に巻かれた人間は「SF/ボディ・スナッチャー」的、人間の体が謎の生物の巣にされてしまうのは「エイリアン」的発想。
といった具合に、他作とダブる展開や場面が多く二番煎じ・三番煎じとは言え、視覚的見せ場は実に豊富だ。
閉所型パニック映画では人々の間に不協和音が生まれるのが定石で、スペクタクルの間に挟まれる人間模様が型通りで退屈を誘われるケースが多いが、本作では退屈に陥りがちな対立場面を逆手に取って寧ろ心理劇的なハイライトにしたところが注目に値する。勿論芸達者マーシャが怪演する宗教家きどりの女が徐々に人々を引き付け、勢力が二分されていく面白さで、ここからは群集心理の恐怖、キリスト原理主義的だったアメリカ前政権への揶揄が感じ取れる。
びくびくしながら車に乗り込んで脱出というのは「鳥」の幕切れみたいなものだが、この後に続く“驚愕”の幕切れについては本作の作劇スタイルに照らせば予想の範疇で、言われるほど驚愕できるものではない。驚愕はしないものの、やりきれない思いは禁じ得ず、こんなペシミスティックなハリウッド映画は誠に久しぶり。
異常現象が人間の科学的野望に起因することが最終的に判明する構成につき、狂信者の言も強ち間違いとは言えないところに皮肉な怖さがある。
一番怖いのは人間、ということらしい。
この記事へのコメント
ペシミスティックなラストシーンを持ってくることで、制作者たちはなにを暗喩したかったのか、いろいろ考えてしまいます。
9・11からイラク戦争にかけてのアメリカが、本作のモチーフの一つだったのではないかという気がしますね。
あの幕切れ自体は「何が正しい判断かは神のみぞ知る」ということでしょうか。
子どもたちが待っていると、危険をかえりみずただ子どもたちに対する愛だけで霧の中に出ていった女性とその子どもたちが救出されて軍のトラックに。脱出しながらも皆を射殺せねばならなかった男がそれを茫然と見送るシーン。主張の是非はともかくも人をみくだし慢心した者たちが死んでいった。キリスト教的な教訓も感じながら、しかし、スーパーという密室で恐怖に陥った人間たちのとる行動、心理は恐ろしい。巨大な昆虫の怪物は恐ろしいほど良くできていた。キング原作と感違いした「モーテル」とは大違いの本作がキング原作でしたね。
出先にて携帯からコメントしてます。帰ったら拙き我が記事TBさせていただきますね。今から倒産した配給会社ケイブルホーグの配給作品鑑賞です!「捕らえられた伍長」コクトー「詩人の血」マルロー「希望テルエルの山々」劇場ハシゴしてルノワール「河」元気あったら「ふるえて眠れ」まで観れるかしら?
映画の作り方から言えば、通常のパニック映画のパターンを逆さまにして、パニック映画を作ることの大義名分である人間描写を前面に出したところが興味深い作品。
ここまで前面に出すと、「パニック映画ではそんなことは重要ではない」と言えません。
結局人間には皆罪があり、どんなに賢者と思われる者の判断も正しいとは限らない、といった厭世的な気分に満ちていますね。
ただ、僕としては娯楽的にどの程度楽しめるかというのをやはり重視したい。その意味で突き抜けた面白さがあったかと言えば、二番煎じ・三番煎じで物足りなさを感じるところがあります。しかし、はったりが利いているので、実力以上に楽しめる人が多いのではないでしょうか。
>ケイブルホーグ
実に貴重な作品群ですね。
しかし、シュエットさんの映画熱も凄いことになっていますぞ。
僕も30くらいまでは凄かったですけど、今では3本以上観て書くのはとても無理でございますよ。観るだけなら3本までは行けるでしょうが。