映画評「夜の女たち」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1948年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり

戦争を挟んだということもあり1940年代の溝口健二は不調であったと言っても良いと思うが、40年代の作品としては秀作と言える唯一の作品と言っても良いのではないかと思う。特に20代前半で観た時は後半圧倒されっ放しで、相当良い星を進呈したが、今回は欠点も見えたので、星は★一つがところ少なめにした。

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復員を頼みにした夫が死んでいることが解り、しかも子供に死なれた人妻・田中絹代が、アヘンの密輸もしている商社社長・藤井貢の秘書兼愛人になるが、外地から帰ってやっと再会したダンサーをする妹・高杉早苗が社長とヨロシクやっている現場を目撃して自暴自棄となり街娼に落ちぶれる。目的は男への復讐だ。
 当の妹も体をめちゃくちゃにされて自棄(やけ)寸前である。さらに夫の妹である少女・角田富江は家出して不良学生に弄ばされた挙句に不良少女たちの慰みものになって不良の仲間に入りかける。

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という三者三様の自暴自棄が当時の女性たちの苦境を浮かび上がらせてなかなか見事だが、若い時の僕を感動させたのはその後の立ち直りである。即ち、藤井の子を孕んだ高杉嬢は死産の末に一般女性としての幸福を掴む誓いをし、彷徨している義妹と再会した田中パンパン嬢は社会を恨むだけでは人生が改善されないことに気付いて一緒に家に帰る。

彼女らの決意は現状に甘んじることへの決別である。人生への力強い復帰が認められるわけである。今見直すと脚本には結構説教じみたものがあるのだが、黒澤明と違って溝口はくどくなく田中絹代に畳み掛けるように台詞を言わせて一気呵成に展開してしまうので、意外と気にならない。寧ろ彼女たちの自発的な立ち直りを素直に拍手を送りたくなる。ただ、奇跡でも起こったように突然目覚めるような印象があって、調子が良すぎる気がしないでもない。

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それから彼女が街娼に転身するのも根拠薄弱ではなかろうか。一応「男への復讐」という言葉を彼女に言わせ帳尻を合わせてはいるが、旦那が妹とヨロシクやったくらいで落ち込む純情さであれば紆余曲折があったにせよそう簡単に街娼になるだろうかという疑問が湧いてくる。

1948年は言葉が悪いが【パンパン映画】が流行した年で、「肉体の門」の最初の映画化があり、小津安二郎までも「風の中の牝鶏」で素人(田中絹代)が春をひさぐお話を扱っていたが、やはり本作のパワーが圧倒的である。

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この記事へのコメント

2008年12月12日 00:21
こんばんは。
この前まで見てきた、溝口さんの山田五十鈴主演作2本と比べると、いまひとつのような印象でした。
女性の叫びを描く、みたいな点で、馴れがきていたのかも…?
貞淑な妻から夜の女までの変遷は、さすが田中さんですね。
オカピー
2008年12月12日 03:21
ボーさん、こんばんは。

大昔に観た時は僕も若くて、終盤の女性たちの立ち直りにかなり感動してしまったのですが、今観直すとちらほらと欠点が見えてしまいました。
戦前の山田五十鈴主演作のほうが、救いを感じさせる前に(断裁的に)終わっているだけに壮絶なんでしょう。

>さすが田中さん
はい、まるで別人でしたね。上手いものです。

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