映画評「どん底」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1957年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり

黒澤明第17作は、マクシム・ゴーリキーの四幕戯曲を幕末の日本に翻案した時代劇である。東京に暮らしていた学生時代にオールナイトの四本目として、眠い目を擦りながら(多分たまに眠りながら)観たのが最初で、その後映画館でもう一度見直している。

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荒れ果てた横割長屋に十名ほどのうらぶれた人々が暮らしている。重病の妻を抱える鋳掛屋・東野英治郎、アル中の役者崩れ・藤原釜足、旗本だったと自称する千秋実、生娘みたいな夢を抱いている夜鷹・根岸明美、遊び人・三井弘次、盗人・三船敏郎、等々。

こんなあばら小屋でも強欲な大家・中村鴈治郎は家賃を請求しにやって来る。頻繁にやってくるのは悪妻・山田五十鈴が盗人と情を通じていると思っているからだが、その実盗人は夫殺しを持ちかけるような人妻ではなく彼女の心優しい妹・香川京子に惚れていて、一緒に外に出ようと頭を下げる。
 そうはさせじと姉は妹を折檻、これを人々が止めに入っている最中に盗人に突き倒された大家が死ぬ。半狂乱になった妹は姉と盗人の共犯と勘違いして役人に訴えた為に二人は捕えられ、その妹もこの貧民窟から姿を消す。

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小国英雄と共同で脚本を書いた黒澤明は戦前のジャン・ルノワール版と違い原作の設定やムードを殆ど変えず、文字通り最低の生活を送る人々を描いている。美術・村木与四郎が作り上げたおんぼろ長屋の貢献大でござる。

さて、上記のような<物語>はあれども基本は台詞劇としての面白味を味わうべき作品で、途中傍観者として加わるお遍路の老人・左卜全が人生を達観したような処世訓を次々と放つのがなかなか興味深い。
 老人の<良い嘘>に長屋の人々は明るい未来を夢見始める。この老人は神出鬼没で一種神的に見られがちだが、彼らが赤貧洗うが如きどん底の生活に浸かっていることを忘れてこの老人を過大評価するべからず。
 彼らの前に展開する厳しい現実に何の変わりがあるわけでなく、それに気付いた時には淡い希望を持たされた後だけに絶望感は増す。結局、ゴーリキーを含む作者たちは残った人々、なかんずく遊び人のどん底生活に対する反骨的な態度を通して絶望的な気分の中に逆説的に人生賛歌を謳い上げている。これが僕の理解である。

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と言いつつ、僕らの心に残るのは閉塞的な重苦しい憂鬱であって、とても積極的に好きにはなれない。

が、舞台的な連続性を生かしつつ映画ならではの切れを出す為にマルチカメラを駆使した撮影は好調。群像劇で重要な俳優のアンサンブルもお見事と言いたい。スタッフ・キャストのたゆまぬ練習の成果と言うべし。

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この記事へのコメント

2008年10月04日 14:45
最近、自分が見た映画を検索すると、オカピーさんも見られているというパターンが続きます。
見ている間は、三船、山田、千秋、中村、左、清川しか、顔と名前が一致していないような邦画音痴な私でしたが、出ている俳優みんな、すごい芝居でした。
やはりリハーサルの賜物でもあるのでしょうね。
黒澤は、やはり見て損なしというところです。
オカピー
2008年10月05日 02:43
ボーさん、こんばんは。

>パターン
僕は、近年、WOWOWとNHK-BSで殆ど観る生活が続いていますから、少なくともNHKでは重なることがあるのでしょうね。

>リハーサル
芝居のような長い連続性が要求されるので、大変だったでしょうね。
そういう意味で非常に舞台的である一方、マルチカメラによる映像は極めて映画的で、ちょっと矛盾する感じが面白い映画でした。

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  • 「どん底」

    Excerpt: 「どうせ、はきだめだ」と言って、土手の下へごみを捨てる人たち。 その下の貧乏長屋に住んでいる人々の、どん底の生活。 Weblog: 或る日の出来事 racked: 2008-10-04 14:21