映画評「稲妻」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1952年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり

成瀬巳喜男は林芙美子の小説を映画化すると好調で、「浮雲」を最高峰にいずれも味わい深い作品ばかりだが、本作も秀作である。

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東京の下町、バスガイドをしている清子(高峰秀子)は、いずれも父親の違う四人兄弟(女三人、男一人)の末っ子。
 だらしない生き方をしてきた母親(浦辺粂子)に似て気の多い長女(村田千栄子)は夫を差し置いて末妹の婿と考えていたパン屋(小沢栄)に入れ込んで喫茶店を開かせ、夫に急死された次女(三浦光子)にママを任せる。次女は貞操観念は強いが気が弱く、パン屋のいいなりになる風情で、長女と次女の間にいざこざが起こる。兄は復員して以来仕事もせずにぶらぶら。
 一人しっかりしている彼女はそんな環境に嫌気がさして家を出る。

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主人公のように見える清子は、半ば、この一家のだらしない生活ぶりを皮肉っぽく眺める観察者として登場し、成瀬は彼女を鏡のように動かして「浮雲」同様淀んだ日常を反射させ、その積み重ねの中にけだるいムードを醸成している。

ヒロインは、間借りしている家の隣に住む兄妹(根上淳、香川京子)の仲の良さに自分たちとの対照を見ると同時に、血の繋がり、特にだらしない母に感じる愛情を意識せざるを得ない。そんな彼女が母を駅まで見送る幕切れでは、けだるい気分も雲散霧消して、「家族はいいなあ」と思う温かい気持ちが生まれてくる。町の情景をしっとりと織り込んだ効果が発揮されてもいるのである。

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映画を通して印象に残るのは、ヒロインの自我である。日本女性全体としての自我は明治中頃に初めて湧き上がりつつも家制度による制約の中に閉塞するしかなかったというのが実際であろうが、太平洋戦争終戦の7年後を舞台にした本作のヒロインが抱える自我は明らかに段階が違い、家を切り離した個人主義をベースにしたそれである。家を出ることで日本の家族形態に陥穽を開けつつ、家族への情は依然濃い。そこに本作の時代性がある。現在のように人が情を忘れた時自我は単なる我儘になるが、そうなる前の人間らしい自我は素敵だ。

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この記事へのコメント

2008年07月13日 23:38
オカピーさん、どうも。
わたしがこの作品で印象的だったのは、この家に下宿をされている女性です。何という女優さんだったでしょうかね?
高峰秀子さんと歓談しているときにレコード・プレーヤーから流れる・・・これも何だったでしょうか?ラフマニロフ???それとも映画の主題曲?だったでしょうか?とにかく素敵なピアノ曲でした。
談笑の内容も主人公を勇気付けるもので、でも厳しい意見をおっしゃっていた記憶があります。すみません。詳細の記憶は飛んでいるんですが、そのシークエンスとラストの兄妹の登場がとても印象深かったです。
では、また。
オカピー
2008年07月14日 14:51
トムさん、こんにちは!

>下宿・・・女優
解らないので調べてみたら、杉丘毬子という女優らしいですが、活躍期間は短いようです。
自立している彼女を見て、ヒロインは家を飛び出したんですね。
僕は書棚にある書物の名前が気になったのですが、解像度が低くて読めませんでした。

>ピアノ曲
僕のクラシックの知識では確かなことは言えません。ラフマニノフのような感じがしますが、正確には何とも言えず無念。

>詳細の記憶
こちらはもっと忘れていました。観た時は良い作品と思ったのに、いい加減なものだなと愕然としますよ(笑)。

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