映画評「野良犬」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1949年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり

黒澤明通算第9作、戦後第5作はサスペンス映画である。

ある猛暑の夏の日、新米刑事・三船敏郎が混雑して人いきれのするバスの中で拳銃をスリに奪われ、最初にスリを働いた女・岸輝子を執拗に追いかけ回し、ありそうな場所のヒントを貰う。
 そこから辿り着いた手先の女・千石規子を挙げて自白を引き出し、相棒になったベテラン刑事・志村喬と共に野球場で元締めを逮捕。男が持っていた米の配給手帳から復員した後不良になった若者・木村功が彼の拳銃を持っていることを突き止め、彼の恋人であるレビューガール淡路恵子に接近する。

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30年ほど前に初めて観たのはオールナイトの二本目としてで、終戦4年後という時代のムードを見事にフィルムに定着させた映画であると大変感心した。
 今回もその印象は全く変わらず、食い詰めた復員兵になり済ました三船が闇市を歩き回るシークェンスに滲み出る時代色が圧巻であると言いたくなるものの、全体のバランスを考えた時にこの一連の描写は些か執拗過ぎる嫌いがある。しかし、ここで僕はロブ・マーシャルが監督した「SAYURI」でチャン・ツィイーが町を闊歩する場面の鮮やかなモンタージュを思い出した。そう言えばあの映画は黒澤明を映画の師のように崇めるスティーヴン・スピルバーグが製作した作品で、相当口を挟んだと踏んでいるが、「野良犬」が「SAYURI」の一場面を生んだのかもしれないと思うと実に楽しい。

描写の基本は当然リアリズムで、本作製作の凡そ半年前1948年12月に輸入されたアメリカの刑事映画「裸の町」の設定とセミドキュメンタリー・タッチに多分に影響を受けているような気がする一方で、全編に溢れるリリシズムには「酔いどれ天使」程ではないがやはり30~40年代フランス映画の詩的リアリズムと似た香りも漂っている。

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冒頭でサスペンス映画と断定したが、実はその観点で言うと感心できない面がある。主人公の性格描写である。
 勿論僕にしても本作が善と悪、富と貧という対照を底流にして話を進行し、同じように全財産を盗まれた二人の復員兵を刑事と犯罪者という両極端に分けた原因はどこにあるのかという命題を打ち出す狙いは理解しているが、それにしても、三船刑事は終始悩んでいるばかりではないか。
 問題は悩む彼ではなく、その扱いである。悩みの幾つかは正面切って描き、幾つかはさりげなく描けばすっきりしただろう。そうすれば人間存在の問題を同じくらい、場合によってはそれ以上に観客の心に残しつつ、サスペンス映画としてもっと急ピッチに楽しませることができたのではないかと思うわけである。

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批判的なことをくどくど垂れつつも僕は本作を大いに評価している。ウッディ・アレン「マッチポイント」同様にボールの落ち方一つで真逆の人生を歩むかもしれないという人生の危うさを鮮やかに打ち出す設定は断然優秀だし、刑事と犯人が格闘している場面で上流階級の家でピアノを練習する婦人のカットインにより示される富と貧の対照、二人が倒れているところを小学生の一列が「蝶々」を歌いながら通り過ぎるワン・カットで示される純と不純の対照。これらの描写は大変ユニークで秀逸である。
 或いは、序盤から拘っている足の描写も極めて印象的で、状況により捉えられる足の意味合いが変わってくるのが実に面白い。レビューガールが木村から貰ったスカートを翻すショットもフォトジェニック。ここは彼女のやけくそ気味の心境をシンボライズする一方で、視野狭窄になっている犯人の心理を真っ直ぐな線路で表現するといった小道具の象徴的な使い方が目立つ。

演技陣では若い刑事に扮した三船を褒めると自己撞着になりそうなのでご遠慮申し上げ、初老の刑事を演じた志村喬の枯れた味の方を称賛しておきたい。

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この記事へのコメント

2008年06月01日 19:38
 こんばんは!
 この『野良犬』はどちらかというと黒澤フィルモグラフィーでは目立たない作品ではありますが、ここで見せる演出の素晴らしさは注目すべきですし、もっと評価を得て良い作品だと思います。
 テーマの選び方、音の使い方、話の運び方、俳優の演技、どれをとっても後期の抹香臭さもありませんし、無駄のない一品です。ではまた!
オカピー
2008年06月02日 00:24
 用心棒さん、こんばんは!

>目立たない作品
 プロの間では評価の高い作品ではないかというのが僕の印象ですが、こと一般ファンに関して言えばそうなのかも。
 時間を経て本稿へのアクセス数を調べれば解るかもしれません。

 無駄ではないのでしょうが、僕は既にくどい感じが出ているような気がしますね。それは黒澤御大が非常なヒューマニストで、どうしてもそれを追求したいという意欲の顕れに違いないわけで、それが良い面に行く場合もあれば逆になる場合もあります。ただ、同じくどさでも本作の三船刑事の描写など<爽やかなくどさ>かもしれません。
2008年07月28日 11:38
「SAYURI」は未見なのですが、「野良犬」とはそんな共通点が見られるんですか…メモメモ…。
<志村喬の枯れた味
この役者さんは黒澤作品には欠かせない人ですねー。今週放送される「生きる」ではさらに枯れた演技をしているので、そちらも楽しみです。こういう役者さん、今はちょっといないなぁ…。
オカピー
2008年07月28日 22:55
ぶーすかさん、こんばんは!

>SAYURI
僕が勝手に言っているだけなんですけどね。

>志村喬
黒澤明がこのバイプレーヤーを有名にしたと思いますね。
「酔いどれ天使」にしても構成上は明らかに主役でしたし、本作は準主役ですが、「醜聞」でも事実上の主役、「生きる」では正真正銘の主役。
志村喬を<生かした>唯一の監督かもしれませんね。
2009年10月03日 15:59
オカピーさん、こんにちは。
こちらは、用心棒さんの記事もあり、早速コメントしてきました。
しかし、大部屋俳優だった志村喬や東宝ニューフェイスに選定漏れした三船の潜在的な力を見抜き、国際的に高評価を得る大俳優とできる黒澤は凄いですよね。

黒澤は、「天国と地獄」もそうだったんですが、所得格差の矛盾から、自暴自棄になって犯罪に走る者たちを強く否定しながら、彼らを取り巻く割り切れない環境も忘れずに描いています。
そのような多方向からの描き方で、彼の倫理観に説得力が生まれているんでしょうね。
こういったヒューマニズムもデュヴィヴィエとの共通点のような気がしますよ。
では、また。
オカピー
2009年10月04日 00:14
トムさん、こんばんは。

本当に優秀な監督になると、良い俳優を見出す力もありますし、既存の俳優から素晴らしい力を発揮させることもできるんでしょうね。
ヒッチコックにおけるグレース・ケリー、ジョン・フォードにおけるジョン・ウェイン、デュヴィヴィエにおけるジャン・ギャバンなんかそんな例ではないでしょうか?

>多方向からの描き方
ふむふむ。
例えば社会派と言われる監督の作る作品では、どうしても環境問題の提示で終わってしまうところを、黒澤明は人間そのものの問題を忘れず、その辺のバランス感覚が見事なわけですよね。
山本薩夫作品で不満を覚えるとしたら個々の人間の追及がどうしても甘くなるところです。「白い巨塔」は上手く作っていますが。

似たような境遇の二人の進路を分けて行くのは、勿論その人自身の人間性と、ネット上のボールがどちらに落ちるかという運命のいたずら、この二つの合作なんでしょう。
僕は余程悪運が重ならない限り道を誤らない自信はありますけどね。基本的に欲がないから。

>デュヴィヴィエ
そうなんですよねえ。
黒澤自身はアメリカ映画それもジョン・フォードの影響を受けたくらいのことしか仰っていないと思いますけど、僕は40年代の作品特に「酔いどれ天使」と「野良犬」にはデュヴィヴィエの香りが感じてしまうのですよ。

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