映画評「Jの悲劇」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2004年イギリス映画 監督ロジャー・ミッチェル
ネタバレあり

英国の作家イアン・マキューアンの小説「愛の続き」を中堅ロジャー・ミッチェルが映像化した心理サスペンス。

人間の行動心理を生物学的立場から講義している大学教授ダニエル・クレイグが彫刻家の恋人サマンサ・モートンにプロポーズしようと郊外の草原にピクニックに出た時、児童の乗った赤い気球が浮かび上がり、居合わせた四人の男性と共に飛びつくが、三人が先に飛び降りた為に最後まで残った医師が墜落死してしまう。

というのがプロローグで、のんびりとしたムードが緊張の時間に早変わりする様が鋭敏に描かれている。圧倒的に素晴らしい滑り出しで、優れた描写が少なくない中でも白眉と言えるかもしれない。短いショットをジャンプカット気味に繋いで緊迫感を生み出す演出が取られているが、このスタイルは赤や気球状のものが全て事件に関連付けられる主人公のトラウマを表す二つ後の場面で具体的に効果を上げている。

医師の死に彼は懊悩するが、やがて一緒に飛びついた男リス・エヴァンズが現れ、気球事件とは全く関係なしに彼に付きまとうようになり、遂には愛を告白されてしまう。

最初に出現した時から妙な感じで、大概の観客が同性愛的ムードに気付くだろうが、気球事件の同病相憐れむ仲と思い込んでいただけに主人公が確認するまでには時間がかかる。その間に恋人たちは感情のすれ違いを生じ、遂にエヴァンズがアパートに現れてサマンサを刺す、という悲劇に発展するわけである。
 そしてエピローグは再び草原。死んだ夫に不倫疑惑を抱いた医師の妻の疑惑を解いた後クレイグは、一命を取り留めたサマンサとピクニックの続きを始めるのだ。

美女ならともかく男性に付きまとわれたら最初から閉口だろうと主人公に同情したくなるが、映画は重苦しいサスペンスを通して主人公の心理の揺れと変化を描こうとしたと思われる。
 ストーキングされるうちに恋人との関係を成立させていたのかもしれぬ理論が恋愛の実践面から崩れかけ、男の暴力に立ち向かった結果「恋愛は生物学的行為」という持説、即ちその恋愛観を見直す、というより変えていかざるを得なくなる、というのが僕の解釈である。しかし、心理の動きそのものより、そのプロセスにおける緊張を内包した映像のほうが印象深い。
 不安を強めるのはジェレミー・サムズによる淡々とした音楽であろう。それほど前衛的ではないものの、かつて武満徹や黛敏郎の前衛音楽が構築した緊張感に似ている。

主人公を演じるダニエル・クレイグは「レイヤー・ケーキ」の麻薬ディーラーより内省的な演技で遙かに好調。リス・エヴァンズはいつも通りと言えばそれまでだが面白く、ご贔屓サマンサ・モートンの抑制された演技もなかなか宜しい。

因みに、エヴァンズ扮するジェッドなる男は単なるストーカーではなく、ある種の行為が自分への告白と思い込む【ド・クレランボー症候群】というらしい。或いは、多くのストーカーがこの病気に罹患しているのかもしれない。

邦題からサッカー・ファンはドーハを思い出したりして。

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この記事へのコメント

シュエット
2007年10月17日 16:46
本作劇場で鑑賞。今ひとつ、把握できなくって、P様にレビューの内容はボンヤリと程度は感じたんですけど…。本作でダニエル・クレイグを知って、その後「ミュンヘン」「007」と続いたんですけど、本作のダニエルなかなかよくって、インディーズ作品の方が彼は際立つんではと思っていたけれど「007」は良かったです。本作が今ひとつ掴みきれなかったのは、何かある、なんだるうっていう目で見ていたからかもしれませんね。
2007年10月17日 20:31
こんばんは!TBありがとうございました。

私はこの作品で初めてダニエル・クレイグを知りました。この作品のイメージがすごく強かったので、てっきりメジャーな作品には不向きな人なんじゃないかなと思っていました。
その後、「007/カジノ・ロワイヤル」を見たのですが、全くそんな心配は不要でしたね。

この作品では、緑の中に浮かぶ真っ赤な気球がものすごく印象的、かつ効果的に使われていましたね。
とても不思議な作品でよく分からなかったところもあったのですが、すごく印象に残っています。
豆酢
2007年10月18日 01:06
TBお持ちしてみました~。
プロフェッサーの選出作となかなか被りませんで、困っておりましたよ(笑)。

同感です。起こった結果ではなく、その過程を見せることに重きを置いていると感じました。事実、個人的に最も緊張感が高まったのは、ジョーが自宅に戻っていくシーン。背景に流れる音楽?サウンド?も、混乱したジョーの内面をよく現していましたね。

それにしても、日常の光景の中に、1つだけ真っ赤な色が際立つのって、どうしてあんなに不穏な感情を引き起こすんでしょうね。血の色を思い出させるからでしょうか。
オカピー
2007年10月18日 02:49
シュエットさん、こんばんは。

私も映画的には把握できたつもりですが、文学的にはどうもまだ把握が甘いと思うております。そもそも淡泊な性質(たち)なので。(笑)
先程お寄りした豆酢さんの分析が凄いです。いつも通りですが、根性が入っております。いかに短く書くかで勝負している私とは全然違います。^^;

ダニエル・クレイグは随分観ていますが、意識したのはつい最近ですね。「007」はWOWOWに頼ると来年になりそうなので、たまにはDVDでも借りようかな。
面白かったですか?
オカピー
2007年10月18日 03:00
Yuhiさん、こちらこそどうもありがとう。
ちょっとご無沙汰致しました。

>真っ赤な気球
とても美しいので画像をUPしたかったのですが、事情があり諦めました。
緑の中の赤が鮮烈で、観ている人間の精神にまで入ってくるような感じでしたね。下の豆酢さんも仰っていますが、赤は人間から不穏な感情を引き出す色と思って間違いないです。

やはり純文学系統ですから、テーマは見えにくいですね。私もその点については把握しきれていないような気がしております。
日常の安定がいともたやすく壊れる瞬間を描いたと言えるとは思いますが。
オカピー
2007年10月18日 03:09
豆酢さん、こんばんは。
TB&コメント有難うございました。

すみません、大量にUPしているんですが、どうしてでしょうかねえ。
別に避けているわけではないんですけど。(笑)

>自宅に戻っていくシーン
あそこもプロローグと同様に素晴らしかったですね。緊張感よりは不安感が銀幕いっぱいに充満しました。音楽も不安をあおりますね。殊更高音を使うわけではないのに、効果的だなあと感心しました。

>赤
血の色に関連付けられるような気がしますね。人間のDNAに刷り込まれているんでしょう。ガラスをこする音などと同様に。
viva jiji
2007年10月19日 09:07
根性と忍耐力は全く持ち合わせのないB型で
ございますが、短めレヴューお持ちしました^^;

プロフェッサーならとっくにご存知でしょうが^^
(豆酢さんご指摘のように)
私、こういう映画は大層、好きであります♪

文学的な語り口と映画的な設定&印象的な映像が
緊迫感をはらんだ音楽に導かれてなんともはや
2時間の心の旅に酔えるんですわなぁ~♪

>そのプロセスにおける緊張を内包した映像のほうが印象深い

です!です!その感じ、わかります。
そして、
ツカミは「真っ赤な気球」・・・ですね。^^

オカピー
2007年10月20日 01:52
viva jijiさん

私も根性のないB型ですねん。(笑)

は~い、よく存じております。心の旅が堪能できる作品がお好き。
(すみません、ご本人様が既に書かれておりました。^^;)

それでは、はい
♪あ~だから今夜だけは 君を抱いていたい
ってチューリップではないっちゅうの!

>真っ赤な気球
素晴らしかったですね。
画像をUPしたかったのですが、パソコンに繋がっていないレコーダーで観たので、できませなんだ。残念無念。

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