映画評「あゝひめゆりの塔」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1968年日本映画 監督・舛田利雄
ネタバレあり

終戦の年沖縄で起きた悲劇を映像化した作品は、1953年に今井正が発表した「ひめゆりの塔」が有名で、82年と95年にリメイク(いずれも水木洋子脚本)されている。本作は同作とは直接関係ないものの勿論同じ事件を扱ったものである。

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沖縄師範学校女子部の運動会に男子部の学生たち(浜田光夫ら)が偽券を使ってこっそり入り込むのはまだ危機感の薄い1943年、いかにも日活らしい青春模様が展開する。
 米軍の本土への接近が迫る44年9月、学童疎開船・津島丸が撃沈され1500人近い学童と付添人が死んだ悲劇を経て、1945年3月女子部の学生たち(吉永小百合、遠山智映子、浜川智子ら)は臨時看護婦として、攻撃が激しくなった為に南の病院へ移動する傷痍兵と行動を共にすることになる。

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全てが事実であるわけではないが、軍人の大嘘や国粋主義者の馬鹿げた言動には激しい義憤を覚える。
 軍人たちは護衛艦がつきながら撃沈された津島丸沈没を卑怯者の流言と誤魔化し、日本軍の反撃と適当なことを言って水浴びをする女子学生をグラマンの攻撃にさらしたりするのである。
 一方、元寇以降の「神風」への根拠なき信仰、少なくとも1500年以上日本人が守ってきた極端な精神主義に国民が愚弄された、時代のムードは薄味ながらもきちんと醸成されている。悲劇は日本人全体が半強制的に国粋主義にならざるを得なかったこと、それに尽きる。さもなくば無辜の学生たち、沖縄県民ががあれほど意味のない死を選ぶこともなかったのだ。

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舛田利雄監督の描写はさほど強烈ではないが、リリカルな味付けには良いものがあり、女子学生の一人・和泉雅子が青酸入りの牛乳を飲む場面で、蝋燭の火が消えることでその死を暗示するのは特に強い印象を残す。

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この記事へのコメント

2007年08月28日 07:33
前半ののどかな青春シーンと、後半の悲惨な従軍シーンが対照的でドラマチックだったんですが、彼女らの悲惨な体験を十分に描き切っているとは言えない感じは拭えなかったです。ちなみに浜田光夫らがいた一中健児って私の母校の前身なんですよね…。
オカピー
2007年08月29日 03:54
ぶーすかさん、こんばんは。

>青春シーン
私はちょっと苦笑しましたね、さすがに日活さんと。
東宝あたりならもっと重く作りますからね。重厚さでは東宝に一日の長があるような気がします。

>母校の前進
そうですか。
私の母校がある高崎は、終戦の前日に空襲があって丸焼けになったんですよ。我が家は碓氷郡でしたので、災難はなかったのですが、父親が高崎方面の空が真っ赤だったと恐ろしそうと言いますか、吐き出すように話してくれましたよ。
蟷螂の斧
2020年01月02日 07:36
おはようございます。こちらにお邪魔します。

>蝋燭の火が消えるところが悲しかった

「私にも下さい。」「君は兵隊じゃないから。」実際ああいう事があったのでしょう。

>元寇以降の「神風」への根拠なき信仰

神風特攻隊も・・・。

>それは記憶しています。日本シリーズで阪急と戦いましたから。

島谷は7番から4番打者になり打率が上がりました。稲葉は3勝7敗から17勝6敗。中日ファンは悔しがりました。

>回答者からも当然その話題

やっぱり記憶に残る場面なんですねー!
オカピー
2020年01月02日 20:12
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>実際ああいう事があったのでしょう。
生き残った方々の発言が色々な本などになっているのでしょうね。

>島谷は7番から4番打者になり打率が上がりました。
Wikipediaで調べてみると、中日時代の成績もさほど悪くなく、どうして出されたのか解らないです。

>稲葉は3勝7敗から17勝6敗。
移籍すると奮闘する選手は多い。江川卓との交換で阪神に行った小林繁も凄い成績を残しましたよね。22勝でした。
あの年の日本シリーズは、山田と足立と山口で殆どまかなったと記憶しています。17勝の稲葉は投げていないと思いますが、怪我でもしていたのでしょうか?
蟷螂の斧
2020年01月03日 14:31
こんにちは。
米軍機の銃撃。その後「おかしく」なってしまう女学生。演じた女優さん。真木よう子に似ています。ウィキで調べてもその後や近況は特に書いてないですね。残念です。

>生き残った方々の発言が色々な本などになっているのでしょうね。

小学生達が大きな船に乗って逃げようとしたけど撃沈される。保護者たちの怒り!自殺する小学校の校長。悲惨です。

>中日時代の成績もさほど悪くなく、どうして出されたのか解らないです。

監督との不仲?あるいは給料が上がった選手を人件費削減の為にトレードで出すという中日お得意のパターン?

>17勝の稲葉は投げていないと思いますが、怪我でもしていたのでしょうか?

ウィキに「1976年の巨人との日本シリーズでは第4戦に先発。1失点の好投を見せ、6回に山田久志につなぎ逆転勝利、チーム日本一に力を添えた。」と書いてあります。

>浜田光夫

人気絶頂の頃(1966年7月)、私生活では酷い目に遭いました。酒の席は、やっぱり怖いです・・・。
オカピー
2020年01月03日 19:27
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>監督との不仲?
>人件費削減の為にトレードで出すという中日お得意のパターン?

なるほど。
プロ野球は成績だけでは語れないということですね。


>>17勝の稲葉は投げていないと思いますが、
>ウィキに「1976年の巨人との日本シリーズでは第4戦に先発。

すみません。僕の勘違いが元です。
1976年のオフに稲葉が放出されたのを76年当初から活躍していたと読み違えていました。
ですから、稲葉は読売VS阪急の二度目の日本シリーズに出たわけです。だから76年の日本シリーズに出ているはずがなかった。あちゃーっ!
しかし、76年の日本シリーズは7戦まで行ったシリーズの中で一番投手を使わなかったシリーズではなかったでしょうか? 調べてみますと、

第一試合 山田、山口
第二試合 足立、山口
第三試合 山田
第四試合 足立、山口
第五試合 山田、白石、戸田、山口
第六試合 山口、山田
第七試合 足立

第五試合で白石と戸田が投げている以外は、大エース山田と、足立、リリーフ・エース山口でまかなっている。当時は信頼した投手を徹底して使った時代で、今ではちょっと考えられないですね。


>>浜田光夫
>人気絶頂の頃(1966年7月)、私生活では酷い目に遭いました。

これは知らなかったです。
だから「愛と死の記録」は渡哲也の主演だったわけですか。
しかも役者としての方向も変更せざるを得なくなった。俳優としてはきついですね。
交通事故で顔面を怪我したモンゴメリー・クリフトもそんな感じですが。
蟷螂の斧
2020年01月04日 06:24
おはようございます。

>元寇以降の「神風」への根拠なき信仰

昨日映画「日蓮」(監督:中村登 主演:萬屋錦之介)を見ました。あの時代から神風を信じるようになったんですね。

>プロ野球は成績だけでは語れない

巨人以外の球団は優勝するとオーナーが困ると言われています。落合監督の解雇が良い例。リーグ優勝したのに・・・。

>第五試合で白石と戸田が投げている

なるほど。それで与那嶺監督が戸田を欲しがったんですね。そして3対4の大型トレード。

>当時は信頼した投手を徹底して使った時代

力投型の山口高志。1979年からは・・・。

>交通事故で顔面を怪我したモンゴメリー・クリフト

晩年は本当に不幸でした。
オカピー
2020年01月04日 22:57
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>昨日映画「日蓮」(監督:中村登 主演:萬屋錦之介)を見ました。
中村登監督が作るような作品ではなかったです。
日蓮は、著作を読むと、日本の宗派開祖のなかでは珍しく他宗派を徹底して批判するなど気が強い感じがありますねえ。特に真言宗には厳しい。

>巨人以外の球団は優勝するとオーナーが困ると言われています。
財政の問題でしょうが、プロがそれでは困ります。

>それで与那嶺監督が戸田を欲しがったんですね。
同級生に戸田というジャイアンツ・ファンがいたので、よく憶えています。あの年に中日への移籍が決まったのでしたか。

>力投型の山口高志。
彼も急激に力を失いましたよねえ。
僕は3年連続開幕戦で完封したジャイアンツの斎藤雅にはびっくりしました。あれほど打たれない投手だったのに、突然並みになってしまった。勿論本人にしか解らない故障とかあるのでしょうけど。

>>モンゴメリー・クリフト
それが遠因になったか、夭折しましたね。亡くなった日が自分の誕生日なのでよく憶えています。7月23日は余り良いことがないのですよ。
蟷螂の斧
2020年01月05日 08:09
おはようございます。

>中村登監督

文芸ものが多いでしょうか?

>日本の宗派開祖のなかでは珍しく他宗派を徹底して批判するなど気が強い感じがありますねえ。

勉強になります。ありがとうございます。

>財政の問題でしょうが、プロがそれでは困ります。

「自分の球場で巨人が優勝・胴上げが一番嬉しい。観客がたくさん入るから。」と言うのも・・・・。

>あの年に中日への移籍が決まったのでしたか。

現在は名古屋市内で焼肉屋さん。

>彼も急激に力を失いましたよねえ。

ゴルフの時の怪我が原因とか。

>突然並みになってしまった

不思議なもんです。

>7月23日は余り良いことがないのですよ。

他にも色々と・・・?
オカピー
2020年01月05日 18:06
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>>中村登監督
>文芸ものが多いでしょうか?

そうですね。僕は「古都」「紀ノ川」が好きです。

>「自分の球場で巨人が優勝・胴上げが一番嬉しい。
>観客がたくさん入るから。」と言うのも・・・・。

プライドはないのですかねえ^^;

>現在は名古屋市内で焼肉屋さん。

そうですか。
阪急時代の最後は素晴らしい投手でした。中日での印象は余りないですね。ジャイアンツ戦には余り投げなかったのかなあ?

>ゴルフの時の怪我が原因とか。

野球選手に限らず、本業以外のところで怪我をして大きな損失をする選手がいますね。
山口はあの時代一番球が速いと言われましたよね。ロッテの村田か阪急の山口。セ・リーグでは中日の鈴木孝政。
 直後にジャイアンツに江川卓、中日に小松が入り、速球王を争った感じ。江川は高校時代が一番速かったかもしれませんが。とにかく地方大会で高校生ではバントもできないと言われました(実際にはスクイズで負けた試合も幾つかありますか)。僕の高校で先輩に野球を教えていた先生は「あんなもん、当たるわけがない」と仰っていました。

>>7月23日は余り良いことがないのですよ。
>他にも色々と・・・?

事件、事故が異様に多いです。自分の誕生日で注意しているせいで、余計そう感じるのでしょうが。
蟷螂の斧
2020年01月06日 06:29
おはようございます。

>「古都」

山口百恵版は見ましたが、岩下志麻版は未見です。

>プライドはないのですかねえ^^;

1970年代のパ・リーグの試合を思い出します。スタンドはガラガラ・・・。近鉄VSロッテ戦がよく引き合いに出されていました。

>ジャイアンツ戦には余り投げなかったのかなあ?

バッターボックスには投手の新浦。戸田が投げる球を何度もファウルして粘る新浦。マウンド上の戸田が汗をかきながら苦笑いしていたのを覚えています。

>中日の鈴木孝政

急速が落ちた。途中から技巧派に転向。ビーンボールやウェストボールを絶対に投げない点が評判が良かったとスポーツ新聞に書かれていました。

>江川は高校時代が一番速かった

高3になった時。監督・部長のどちらかが解雇。あまり走りこみをさせられなくなった。そこで力が落ちたという説がありますね。

>7月23日

ナチス・ドイツがトレブリンカ強制収容所を開設した日。1942年。
オカピー
2020年01月06日 22:43
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>>「古都」
>山口百恵版は見ましたが、岩下志麻版は未見です。

山口版は市川崑の監督で、彼女の主演映画では一番高品位であると僕は感じましたね。


>>プライドはないのですかねえ^^;
>1970年代のパ・リーグの試合を思い出します。

パ・リーグの試合は本当に入らなかったですよね。たまにパ・リーグのデー・ゲームをTVで見ましたが、淋しい限りでした。
プライドと言えば、当時のヤクルトのオーナーがジャイアンツ・ファンで応援していたと聞きましたねえ。


>>中日の鈴木孝政
>急速が落ちた。途中から技巧派に転向。

落ちました。よく憶えております。
技巧派と言えば、会社の同僚が斎藤雅樹投手を技巧派と思い込んでいたので、訂正しましたねえ。彼はサイドスローでありながら150km/h近い速球を投げていました。横手の150キロというのは155キロ以上の球威に感じられるわけで、全く技巧派ではなかった。変化球も右バッターに対しては殆どがスライダーでしたしね。


>監督・部長のどちらかが解雇。あまり走りこみをさせられなくなった。
>そこで力が落ちたという説がありますね。

それは知らなかったですが、同じ学年の定岡と「高校時代が一番速かったんじゃないか」とよく話すと言っていました。
プロで計測された数字は153km/hが最高ではないかと思いますが、江川はスピンが尋常ではないので、高めに投げるとまず当たらなかったですね。大谷の160kmは平気で当てられるのとは大分違う感じがします。
しかも変化球はカーブのみ。そのカーブがまた一流だったので、三振奪取率が高かったです。ところが、4年目に急に三振奪取数が落ちました(直球の伸びがなくなったのだと思います)。引退時に「4年目に本格的に肩を壊した」と言っていて、辻褄が合っていました。本格的と言うのは、江川によると、「大学時代に投げすぎで実質的に壊していた」から。


>ナチス・ドイツがトレブリンカ強制収容所を開設した日。1942年。
そうですか。全く良くないですねえTT
浅野佑都
2020年01月07日 13:09
 明けましておめでとうございます。今年も、継続して高いレベルの映画評が読める「プロフェッサー・オカピーの部屋別館」を日々の楽しみにしております!

>斎藤正樹
古田ら、セリーグの右の強打者のほとんどは彼を苦手としていましたね!
インコースの直球に差し込まれ、スライダーは空振りでした。
ただ、小早川にだけは良く打たれていたなぁ・・。
援護する打線も今みたいな重量打線でなかった・・。ベテランの原や中畑、篠塚はいましたが、吉村クロマティでは力不足、駒田は力はあるが安定感が・・。
その中での180勝は250勝くらいの価値があるのでは?・・。(その後、松井や由伸が入って4番だらけに・・笑)

 「男はつらいよ お帰り寅さん」を観てきましたが、巷間、言われている横尾忠則の発言について・・。
あれは、どう見ても横尾忠則の了見違いですよ・・。
確かに、芸術作品の根本はアイディアとコンセプトに尽きる、という横尾のアーティストとしての信条は理解できるし、一理あります。

だが、二次元アートの巨匠である横尾と、総合芸術の映画監督である山田洋次では立場も創作の仕方もまるで違う・・。
映画の中でアイデアが占めるのはワン・ピースに過ぎない。
多くのスタッフ、キャスト、映画会社との交渉など、様々なハードルがあり、文字通りアイデア倒れになることも多い・・。
横尾忠則が「タダノリした」と激怒(笑)して山田洋次とは比べ物にならないと崇拝する黒澤明に晩年、彼の性格ゆえに作品として結実しなかったアイデアがどれほど多いか・。

「男はつらいよ・・」・・も失敗する可能性もあったし、そうなればアイデアを出した横尾にもとばっちりが行く。山田洋次はそこまで考える人間でしょう・・。
その証拠に、発案は横尾忠則のものだったと認めていますからね・・。

ありていに言えば、「ケツのアナが狭い」(失礼)
横尾ほどの大家なら、クレジットなどなくとも鷹揚に構えていてほしかった。どちらも好きな芸術家だっただけに残念ですね・・。
オカピー
2020年01月07日 21:21
浅野佑都さん

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

>>斎藤正樹
>古田ら、セリーグの右の強打者のほとんどは彼を苦手としていましたね!

右の外国人バッターは全く打てなかった。ランナーがいる時に外国人バッターが打席に入ると怖いのが通常ですが、右バッターであれば齋藤に関しては全く不安を感じませんでしたね。気持ち良いくらいスライダーを空振りしてくれました。


>クロマティでは力不足

打率は良かったですが、齋藤が頭角を出してから全盛期頃にかけて長打力が足りなかったですね。


>「男はつらいよ お帰り寅さん」を観てきましたが、
>巷間、言われている横尾忠則の発言について・・。

ネットで読みましたが、浅野さんと同様に、“ケツのアナが小さい”と思いましたよ(笑)。
 読む限り、着想源ではあっても、原案と言えるほどのものではないです。浅野さんの「二次元アートの巨匠である横尾と、総合芸術の映画監督である山田洋次では立場も創作の仕方もまるで違う」というのは全くその通りで、それを豊かにかつ繊細に具体化するところに映画作家の作家たる所以があるわけで、何の相談も案内もなかっただの、実に小さなことです。


>横尾忠則が「タダノリした」と激怒(笑)

こりゃ傑作ですね^^


>山田洋次とは比べ物にならないと崇拝する黒澤明

カラーになってからの黒澤は、僕はそれなりに褒めていますが、「赤ひげ」以前に比べて弱かったと思います。臭みばかりが強くなり、余り好きではないです。
 僕は、山田洋次のカット割り、或いは映像言語感覚は物凄いと思っていまして、これに関しては黒澤明より優れていますよ。小津より上かもしれません。例えば、「遥かなる山の呼び声」で二つの似た情景を、一方はクロース、一方はロングショットで撮ることで、両場面におけるヒロインの心情の差が解るわけです。凄いなあと思いましたねえ。


>クレジットなどなくとも鷹揚に構えていてほしかった。

全くです。

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