映画評「ノートルダムの傴僂男」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1939年アメリカ映画 監督ウィリアム・ディターレ
ネタバレあり

ヴィクトル・ユゴーの小説の中では「レ・ミゼラブル」に及ばないものの大変映画化の多い「ノートルダム・ド・パリ」の代表的映画化。若い人も僕がここ20年で最も優れたディズニー・アニメと思っている「ノートルダムの鐘」でご存じの物語である。

15世紀のパリ、ノートルダム寺院の司教の慈悲に与って鐘楼守になったせむしの孤児カジモド(チャールズ・ロートン)は、ジプシーの境遇改善を訴えにパリを訪れたジプシー美人エスメラルダ(モーリーン・オハラ)の優しさに触れて彼女を慕う。
 彼女に横恋慕した司教の弟フロロ伯爵(セドリック・ハードウィック)は自分になびかぬ彼女に絶望して彼女が愛する警備隊長を殺し、罪をなすりつけ、死刑にしようとする。カジモドは見た目とは違う身軽さを発揮して彼女を死刑台から救い出すと鐘楼に隠し、迫ってきた伯爵を突き落とす。
 その頃詩人(エドモンド・オブライエン)の努力の結果エスメラルダの釈放が決定されるが、カジモドは自分の姿を呪うしかない。

画像

映画化作品ではカジモドの死で悲しさを印象付ける幕切れが多いが、本作では生きたまま終わるので、悲しさ以上に厳しい印象を生み出す。寺院の彫像の横にもたれるカジモドを捉えたカメラがどんどんズームアウトし遂に寺院の全景が現れたところでThe End。物凄い倍率のズームで圧巻、寺院だけにじ~んとしました(笑)。
 寺院の上から俯瞰で捉えられた、押し寄せる民衆や暴徒の数も雲霞の如し、スペクタクルとして上々。

また、ターザン宜しくロープを使ってエスメラルダを救出する場面でのカジモドの身軽さは目を見張らせるが、演ずるチャールズ・ロートンのメーキャップがなかなか凄まじい。

文学的に言えば宗教の力が圧倒的だった時代における宗教対科学の攻防が物語の基底にあって、現代では科学的分析が当たり前の裁判でも、非科学的な主観的な理由で有罪が決まるし、印刷が自由な思想を広めるという理由で活版印刷機を壊す場面が印象を残す。

映画では伯爵一人が自由を圧迫する悪人のように描かれているが、さらに150年経てもガリレオが「それでも地球は回っている」と言わざるを得なかったように、中世ではまだまだ科学の力が宗教に対しては余りにも微弱だった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

シュエット
2007年07月28日 23:13
子供のころ確か夕方4時ごろからだったでしょうか。洋画劇場だか名画劇場だかのタイトルでずっとモノクロの洋画作品を放映していて好きで一津も見てました。「にんじん」「ハムレット」ローレンス・オリヴィエの名前もこれで覚えたんではないかしら。何回も再放送されていたからそのたびに観てました。私が何度か見た「ノートルダムの傴僂男」も本作だと思います。子供ながら面白かった。子供にも充分に訴えるものがあるというところが昔の作品にはありましたよね。そういう意味でも昔の作品が1コインで購入できるのは魅力ですね。
オカピー
2007年07月29日 03:06
シュエットさん、こんばんは。

>夕方4時ごろ
はい、そんな番組があったような記憶があります。特に土曜日の午後は映画放映がいっぱいで、一日に4本見た記憶があります。オリヴィエの「黄昏」もよくやっていました。昔話ですね。^^;
シュエットさんが御覧になったのは恐らく本作でしょう。戦後のジーナ・ロロブリジダが主演したカラー版も有名ですが。

>1コイン
図星です。本作は1コインDVDで観ました。
他にいくつか購入しましたが、なかなか観られません。
そういう意味では、著作権が2005年1月1日から70年に延長されたのは残念ですね。有名な作品は70年になろうが100年になろうが影響は限られますが、無名な作品は埋もれていく可能性が固い。
私は文学作品では反対しているんですけど。
2007年07月29日 14:25
おおっ!オカピーさん!
カシモドを忘れていました。今わたしの記事にあわてて追記したところです。
これは、映画=文学というある意味、映画的には批判されうる要素の多い題材ではありますが、わたしとしては絶対的に評価したい題材でございます。ロマ族のエスメラルダ(名前からして神秘的で素晴らしい)、ノートルダム大聖堂の美しき景観、「魔女狩り」、封建時代の迷信深い風俗や日常の差別意識、被差別者との共存・・・。
これらの種々の矛盾と美

>戦後のジーナ・ロロブリジダが主演したカラー版・・・
何度も映画化されているようですが、わたしとしては、このジャン・ドラノワ版が絶品と思っています。脚本が「詩的レアリスム」マルセル・カルネの相方のジャック・プレベールと、第二世代のジャン・オーランシュですよ。そして、音楽はジョルジュ・オーリック。
このメンバーは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を全否定するのもです(あっ逆か(笑))。
トム(Tom5k)
2007年07月29日 14:25
>続き
ラスト・シークエンスも原作どおりでした。
【数年後、処刑場を掘り起こすと、白い服装をしていた女性エスメラルダと思われる白骨に、異様な骨格の男の白骨が寄り添っており、それらを引き離そうとすると、砕けて粉になってしまった。】

ひとりで興奮してすみませんでした。
では、また。
オカピー
2007年07月30日 03:24
トムさん

そうか、最近はジプシーという言い方はご法度でしたか。
エスキモーも差別用語と言われていますが、イヌイットも部族によっては差別になるようなので、面倒くさいですよね。

文学的な主張を映画的にすれば特に問題はないと思うであります(笑)。
つまり、映画が過度に文学的になり、それのみしか評価できないような作り方あるいは観方が問題だと思う次第。
このディターレ版もなかなかのものでしたよ。

カラー版は子供時分以来ご無沙汰なので、正確なことは言えません。^^;
ジャック・プレベールとジャン・オーランシュはジャン・ドラノワなら考えられる組み合わせですけど豪華。いずれ見直さないといけないようですね。^^

>白骨
なるほど原作どおりですね。
ハリウッド・ベースのものはエスメラルダを生かし、カジモドを死なす、という一方的な死で終わるのですが、本作はそれを避けた形。これはこれでなかなかぐさっと胸に刺さりましたよ。

この記事へのトラックバック