コラム「アルトマンかオルトマンか-人名表記について-」

 僕が人名に拘る最も大きな理由は、自分の名前が他人から正しく呼ばれたことがこれまで一度もないということである。これほど不愉快なことはない。
 都合が良いこともある。間違った呼び方で勧誘の電話がかかってくる。一言「そんな人はいない」で切ってしまえるのだ。

 さて、僕のブログでの人名表記が些か違うのにお気づきの方もあろうかと思い、その辺りの説明をしようかと企画している時に、近頃知己となった尊敬すべきK氏より「オルトマンより一般的なアルトマンと表記したほうが無難でしょう」というご指摘を受けた。
 これについてかなり異論を持っているので、敬意の表する為にも愚説を披露する一方で、独自の表記について説明していきたいと思う。

 尤もなご指摘であったが、<一般的>であってもオルトマン本人がオルトマンと言っているらしいのだから、オルトマンを採用するのが本人に対する礼儀であろう。
 私はもう一人のお知り合いV姐さんから、<冨田さん>を<富田さん>と書いて優しく叱られたこともある。「カタカナで完璧な外国語表記はできない」という理由だけで、<冨田さん>と違っていいものかという疑問も湧く。
 Robert Altman、確かに綴り上ではアルトマンであり、一般的にアルトマンで通っている。しかし、「若草物語」のAlcottはずっとオールコット(オルコット)であり、アルコットの表記する方は100人に1人もいまい。
 こういう差が生じた理由は、たまたま最初にそれが使用されたからに過ぎない。大した根拠もないのである。従って、アルトマンがいかに一般的であろうと誤っている可能性が高いものは採用できない。間違っていたらその時点で改めることにやぶさかではありません。
 その昔俳優でもあったロナルド・レーガンが大統領になった時暫くリーガンと表記されていたが、一晩にしてレーガンに代わったという例がある。そこで、Altman が大統領にでもなれば、恐らくアルトマンからオルトマンに変わるであろう、という皮肉の込められた記事を読んだこともある。

 僕が他と違う場合があるのは、出来る限り本人に発音を確認していると聞く【スクリーン】誌をベースにしているからで、イメージだけで表記している大手の【ロードショー】などデタラメもいいところ。
 現在はどうか知らないが、その昔 Al Pacino をアル・パシーノとしていた。彼はフランス系ではなくイタリア系であるから、ci は<チ>である。おかげで「アラン・ドロン+アル・パシーノよりあなた」という恥ずかしい題名の曲(歌・榊原郁恵)まで作られてしまった。
 確か【ロードショー】誌は v を b と区別しなかった(現在については不明)。綴り・発音の両面で見過ごせない、いい加減さと言わねばならない。
 David もデビッド(【平凡】あたりではデビットだった。お粗末な限り)だったが、言語道断。せめてデヴィッド、出来ればデーヴィッドが望ましい。理想的にはデイヴィッドだが、字にするとどうもうるさい感じがする。

 【スクリーン】誌は、前述したとおり、本人に発音を確認しているので発音重視と誤解されるが、そうではなくて、発音と綴りの折衷を図ることに努力していると理解している。発音重視ばかりしていると、些か問題も出てくるのだ。例えば、MacDonald はマクダーヌルと表記せねばならず、余りにも伝統的な表記と乖離しすぎる。半端と言えば半端なのかもしれないが、そこまで徹底する必要もあるまい。

 僕がMontgomery Clift において一般的で現地発音に僅かに近いモンゴメリー・クリフトよりモントゴメリー・クリフトのほうが綴りを記憶する上ベターではないかと述べたら、K氏より「それでは方針が余りにもいい加減ではないか」と反論された。しかし、そんなことはない。
 モンゴメリーが絶対的に正しいのであればその反論は当然であるが、英語の辞書を当たってもらえば分るように t は黙字ではなく発音されるのが通常。つまり、モンゴメリーはモントゴメリーより聴感上で僅かに実際の発音に近いというだけであるから、綴りを反映させたモントゴメリーを選んだところで、<いい加減>と言われるほどの問題があろうか(Altman についてもほぼ同様で、きちんと中学で勉強した者なら al の発音がオール、オルになりうることなど誰でも知っている。Altman をオルトマンとすることには綴り上の問題すらないと考える)。
 寧ろモンゴメリーと t を省略しながら、一方でHumphrey Bogart をハンフリー・ボガーと言わないほうが余程の矛盾だし、いい加減な扱いである。

 しかも、ボガートのことを誤ってボガードという日本人が多い。半分とまでは言わないまでも、一般的と言えるほどで、日本人にはそもそも心地良さで表記を定め現地の発音を無視する傾向があるのではないか。つまり、清音と濁音の関係がデタラメ、気分で決められている印象があるのである。
 上のボガードもその一例で、ダーク・ボガードと区別がつけられていない。ハンフリーはボガートであり、ダークはボガードであります。よく憶えておいてね。
 一番気になるのは、ウィリアムス、ヤンキース、タイガースなど。中学一年の時複数の s の発音について【直前が清音でない限り最後の s は清音にならない】とうるさく教えられたはずなのに、一切無視。K氏が変にこだわりがあると指摘するNHKですら<ヤンキース><タイガース>。こんなことを放置しておいたら教育上も宜しくないと思われるほどだ。

 【スクリーン】誌を読んでまず目に付くのはチャールズ・ブロンスンといった<スン>表記であるが、これはアメリカにおいて極めて現地の発音に近い。
 その一方で、同じ son でも勿論フランス人ならヴェロニカ・サンソン、スウェーデン人ならニルソンといった表記となる。

 あるいは、Lindsay Wagnerをリンジー・ワグナー、Carol Linley はキャロル・リンリーという表記をしている。辞書通りで、他誌のリンゼーやリンレー表記は大変見苦しい。
 一方、Matthew MaConauhey はマシュー・マコナヘーである。可笑しなもので ley をレーと誤って表記している他誌が彼に関しては hey をヒーとしている。いい加減なのはどちらであろうか。配給会社の情報をそのまま受け入れているだけということかもしれない。

 Marlon Brando をマーロン・ブランドー、Neville Brand をネヴィル・ブランドとしている理由はお解かりでしょう。
 Robert DuVall はアクセントから一般的なデュヴァルは変なのでデュヴォールとする。【スクリーン】はデューヴォールとしているが、僕はそこまでは行かない。
 一時期インディレースで活躍した Rahal も一般的に暫くレイハルだったが、本人との確認作業でNHKもレイホールと変えた経緯を記憶している。それ以降レイハルと呼ぶところは基本的になくなった。<一般的>とはかように脆いものである。

 本年5月頃、V姐さんから「ヘップバーンとヘプバーン、ヒッチコックとヒチコックはどちらか良いのか」尋ねられたことがあるが、どちらも正しくどちらも間違っていると答えたような記憶がある。促音<ッ>があることでアクセントの位置関係に多少影響はあるはずだが、基本的には大差ないと考えて良いと思う。チャップリンについても同様。

 【スクリーン】表記に拘っているわけではない。綴りと発音に関する考えが互いに近いというだけである。従って、微妙に違う点もある。
 同誌はゲーリー・クーパー、ケーリー・グラントであるが、当方はゲイリー・クーパー、ケイリー・グラント。<ei>の発音はやはり<エイ>としたい。但し、グレース・ケリーはそのまま。一般名詞としてのグレースが余りにも普及しているからで、元来大差がないのでその辺りは現実的な対応もしているつもりである。

 今確認して気付いたが、Leonardo DiCaprio が【スクリーン】でもレオナルド・ディカプリオになっている。恐らく本人との確認が取れたのであろう。今更驚くことではないが、僕にとっては、彼がイタリア人ではなくイタリア系アメリカ人故に悩ましかった名前である。これについては片がついた。因みに、Leonard は英語ではレナードと発音。<o>は黙字である。


 K氏の侮蔑的な表現が気になったのでちょっと述べたいと思うが、【スクリーン】はかつて今ほど幼稚な雑誌でなかった。かの大手出版社による【ロードショー】が出現するまでは、硬軟のバランスが非常によく取れていた。少なくとも現状のバランスを欠いた【キネマ旬報】などより数段上の魅力溢れる雑誌だったと思う。
 当時は映画評3~7本程度に、双葉十三郎氏の<ぼくの採点表>、滋野辰彦氏の映画理論研究、津村秀夫氏の映画的ムードの研究、飯島正氏の原作と映画間の差異の検討、清水千代太氏の演技評など、初級者にはやや難しく概ね中級者向けといった印象のある記事が充実していたものだ。
 70年代後半<悪貨は良貨を駆逐する>ではないが、急激に【ロードショー】と大差のないミーハー雑誌となり、現在に至るのである。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

豆酢
2006年11月16日 16:21
名前の表記は悩ましいです、本当に!!
雑誌によって異なる場合が多く、しかもどれも実際には正しくないなんてこともありますし。どうすりゃええんじゃーっと叫びたくなります(笑)。ダーク・ボガード、間違ってなかったか、思わず自ブログの記事を確認してきました(^^ゞ。とりあえず大丈夫でした…(ホッ)。

「スクリーン」が「ロードショー」と似たような内容になってしまったという件には、思わず納得。
十瑠
2006年11月16日 16:38
随分とアチコチで論争が勃発していたようですが、適当派の私は遠巻きに時々眺めさせてもらってました。クワバラ、クワバラ・・・ってなもんです。

「スクリーン」に関して、4年ほど前に書いていたモノをTBいたしました。
双葉先生以外では滋野辰彦さんのお話が毎月の楽しみでした。演技評は飯島さんだと思ってましたが、清水さんだったんですね。
家のすぐ近くに書店があるので、数ヶ月に1回くらいはチラッと立ち読みしてますが、内容は相変わらずの様です。
オカピー
2006年11月16日 17:19
豆酢さん
コメント有難うございます。
本当に悩ましい。カタカナで外国語を正確に表記できないのは当然です。だからこそなるべく正確な発音を取り、それでいて、綴りについても無視しないという態度が重要になると思うのです。
文学界などではかなり表記に統一が取れていると思いますが、映画界はまるで駄目ですね。
一般的な範囲で言うなら【スクリーン】が一番無難だと思います。K氏は「妙な表記」と難癖を付けますが、妙でも正しいものは正しい。勿論言語によって色々あるのでいつも完璧というわけは行きませんが、間違っていたと判った段階で同誌はどんどん変えています。例えば、
今回のレオナルドやリチャード・ギア。ジェアだったのが初来日後ギアになっていました。
オカピー
2006年11月16日 17:34
十瑠さん、こんばんは。
コミュニケーションは難しいものです。まあこれについてはこの辺にして、懐かしい「スクリーン」談義と行きましょうか。

双葉さんが病気に伏して「スクリーン」を買う理由はなくなったのですが、「ロードショー」は論外、「キネマ旬報」も高いだけでつまらなく、映画思想的に偏向しているから嫌ですね。「映画秘宝」はB級至上主義でそれこそ偏向も良いところ。

そう、演技評は千代太さんでした。飯島さんは文学博士でしたから文学がお得意でしたね。
今でこそ、滋野辰彦さんの映画理論が読みたい。そう思う小生であります。

この記事へのトラックバック

  • 「スクリーン」という雑誌

    Excerpt:  「スクリーン」という映画雑誌を、高校生の頃、毎月買っていた。  今もあるが、ほとんどグラビア雑誌のよう。「ロード・ショー」は最初からそんな感じだった。  毎年3月には、批評家が選んだ前年のベスト作品.. Weblog: ::: SCREEN ::: racked: 2006-11-16 16:29