プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画評「アパルーサの決闘」

<<   作成日時 : 2018/07/11 09:48   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2008年アメリカ映画 監督エド・ハリス
ネタバレあり

エド・ハリスの監督第2弾はご機嫌な正統西部劇だが、なかなかの出来映えにもかかわらず、日本劇場未公開に終わった。時代故の不幸ですなあ。

街の外にいる悪徳牧場主ジェレミー・アイアンズに牛耳られているアパルーサという街に、彼の一味に殺されたと思われる保安官に代わり、その噂を聞いたエド・ハリスが着任し、親友ヴィゴー・モーテンセンを助手に付ける。
 やがて食い詰め寸前の未亡人レネー・ゼルウィガーがやって来て、“インディアンと娼婦以外に女を知らない”ハリスが彼女と恋に落ちる。家を作って彼女と住む家を作ることに決めた頃、アイアンズの若い子分が彼を訪れ、保安官殺しはボスの犯行と証言する。これが決め手になってボスは有罪になり、二人が列車で護送することになるが、彼と契約を結んでいる知人の兄弟がレネーを人質に現れ、仕方なく釈放する。
 彼らを追ううちハリスらは裸で一味と戯れる彼女を発見して呆れるが、アパッチの攻撃を避ける為、暫し呉越同舟の旅となる。ところが、アイアンズを一時預けた保安官が従弟であったことから彼に逃走されただけでなく、その際に負傷する。
 アイアンズは大統領に恩赦されてアパルーサに戻ると酒場を開き、レネーをピアノ弾きに起用して色目を使う。ハリスは店を避けるだけだが、これに我慢ならないのはモーテンセンの方で、アイアンズに決闘を申し込む。

終わってみれば男二人の友情の物語である。
 そして、最後にモーテンセンが決闘するからと言って必ずしも彼が主役の座を奪ったわけではない。お話の語り手でもある彼はハリスが手を汚さずにアパルーサでレネーと幸せな家庭を築くことを期し、邪魔になるアイアンズを排除し、最大限の友情を示すのである。
 主役という意味をどう考えるかによって主役が変わる配置である。最後に活躍をするとは言えモーテンセンは狂言回しであるから、作劇上の主役はやはりハリスで、情を排除しているはずの彼が“インディアンと娼婦以外は女を知らない”為ふらふらするのを支える。彼が男にだらしないレネーに決して靡かないからこの友情がずっと維持されたということになる。良いところを持って行ったという意味ではこの語り手が主役と言えないこともない。

古い映画ファンの中には「荒野の決闘」(1946年)と「OK牧場の決闘」(1958年)を思い出しながら観る人が多いと思う。保安官と友人が主人公で女性が二人絡む構図はこれらの古典とほぼ同じである。上記二作はどちらも同じOK牧場の決闘を扱っているわけだが、本作はどちらかと言えば詩情を重んじた「荒野の決闘」寄りの作り方で、反面女性の現実的な扱いは「OK牧場の決闘」に近いような気がする。

西部劇らしからぬ西部劇というご意見があるものの、僕らオールド・ファンは寧ろ上の二作品を想起し、西部劇らしい西部劇という印象を持つ。暴力が目を引くマカロニ・ウェスタンや昨今の西部劇ばかり見ている経験の浅い人はこうしたドラマ型西部劇が異色に見えるのだろう。

日本では左派が右派の歴史修正主義をよく指摘するが、近年西部劇の対訳には“インディアン”ではなく“先住民”という言葉が出て来る。開拓時代、先住民などとは誰も言わなかった。これは左派による、謂わば歴史修正にほかならない。臭いものに蓋をしては寧ろ何事も解決しないという意味で、僕はどちらにも否定的である。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
映画評「アパルーサの決闘」 プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる