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zoom RSS 映画評「カッコーの巣の上で」

<<   作成日時 : 2018/07/10 11:12   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1975年アメリカ映画 監督ミロシュ・フォアマン
ネタバレあり

3か月前にミロシュ・フォアマンが亡くなった。改めて追悼というつもりではないのだが、格好としてはそういうことになりますか。初めて観たのは四十年ほど前に名画座で。

原作はケン・キージーの小説ながら、直接にはその舞台版の映画化ということになる。実際、室内の場面の台詞の応酬は舞台的だ。

1963年9月、オレゴン州立精神病院に、服役囚ジャック・ニコルスンが送り込まれる。強制労働から逃れる為に精神異常を装っていると疑われ、その検査の為である。病院では自発的に入院した者など症状の軽い者を集めて看護婦長ルイーズ・フレッチャーの指導の下に社会復帰の為のディスカッションが毎日行われている。
 彼女に支配されて活気のない患者たちを鼓舞しようとニコルスンは様々なことを試みる。ワールドシリーズを見せろと患者たちを扇動、レクリエーション用バスを奪って釣り船で乗り出したり、バスケットで看護人チームに勝ったり。その結果先住民のウィル・サンプスンも見違えるように活動的になる。
 そして、釣りの時にもやって来た商売女を引き入れ繰り広げられる大パーティー。このパーティーでの行状を婦長に糾弾されて自発的に入院していた若者ブラッド・ドゥーリフが自殺する。これに憤ったニコルスンが婦長の首を絞め、その結果彼はロボトミー手術を受け植物人間になってしまう。サンプスンは憐れんで彼を窒息死させ、窓を破って脱走する。

IMDbでベスト1になっている「ショーシャンクの空に」同様に管理からの自由が主題であり、同じように高く評価されている。日本人以上にアメリカ人はこの手を好む模様だ。
 秩序に縛られ管理されている精神病院は、体制を暗示・象徴する。管理社会のプレッシャーに押しつぶされる人々は、逃避場所として病院即ち体制を選び、却って深みに嵌ってしまうのである。そこから抜け出すことは権力から抜け出すこと、しかし、これはなかなか出来ない。観客は実社会でなかなか出来ないことをやってくれるこれらの映画に喝采を送るわけだが、痛快さだけに終わったようにも見える「ショーシャンク」よりこちらの苦味を伴う内容の方が後を引く。日本人にはこちらのほうが受けるかもしれない。

フォアマンはまだ共産主義体制のチェコから逃げ出してきた人物だから、それを考えるとこの映画の作られた意味が増す。

暴力脱獄」で脱獄することで体制への反骨精神を示したポール・ニューマンに似る人物像をニコルスンが巧く造型、好演した。しかし、個人的には、この作品以降彼はオーヴァーアクトが目立ち、苦手な俳優になる。

オウム真理教の連中の一部が死刑に付された。古くからあるきちんとした宗教でも管理的にならざるを得ないが、新興宗教(実質的には宗教もどきが多い)など管理の権化であろう。共産主義を目指す国家は共産主義が完全に実現するまでは人々の管理を止めない。

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
 管理社会が、その体制を維持するためには、いかに人間性を損ない、個人の自由と尊厳を否定するものかを描いた秀作ですね。プロフェッサー同様、名画座で観て、激しく胸を揺さぶられまました(若かったこともあるでしょうが・・)。

 今思えば 当時のベトナム戦争後の、アンチ・エスタブリッシュメントのうねりの中で生まれたケン・キージーの原作を、スターリニズムの反発から、新たな社会主義を模索し、自由の萌芽が芽生えたもののソビエトの軍事介入で儚く潰えたチェコから亡命してきたミロシュ・フォアマンが、明確なメッセージを持って撮った作品であるがゆえに、鑑賞後の感動は僕の中では後に観た「ショーシャンク・・」などとは比べられないほどでしたね・・(だいたい、一度観れば十分なかの作品が、異常に高評価されてると・・)、

 本作品が大ヒットし、アカデミー主要5部門も受賞した背景には、75年当時のアメリカの世相と、リベラル派の活力を反映し、個人の自由をリスペクトした、全体主義=共産主義への反発があったと思います・・。
浅野佑都
2018/07/10 15:03
またこの映画では、ダニー・デヴィート、クリストファー・ロイド、ヴィンセント・スキャべり(「バットマン・リターンズ」や「ゴースト」に出ていた特徴的な顔立ちの俳優)といった、個性派役者がデビューしていますね・・。

 忘れてならないブラッド・ドゥーリフ(笑)は、ガラスのように毀れやすく、繊細で心優し異性念を演じて秀逸・・。
深夜のクリスマス・パーティの乱痴気騒ぎの中で、ニコルスンの愛人に恋心を抱き、母親からの自立を感じていく開放感から、一転、現実世界に引き戻され、恫喝され、恐怖心から首謀者がニコルスンであることを思わず絶叫してしまうまでの見事な演技は、今も鮮明に覚えています。

主役のニコルスン(彼をスクリーンで初めて観たのは「愛の狩人」でした)は、これら個性派の中ではむしろまっとうな役柄で、アクも薄まり幸いしたかと・・。

後年の、彼のけれんのある演技とは一味もふた味も違って素晴らしいです。
(ぼくは、ニコルスンは、世間一般の評価ほどには決して上手い役者とは思いませんが・・)好きか嫌いかと問われれば、好きな俳優ですね(顔が叔父に似ていまして笑・・)
浅野佑都
2018/07/10 15:05
浅野佑都さん、こんにちは。

>激しく胸を揺さぶられました(若かったこともあるでしょうが・・)

僕も昔の鑑賞記録を見ると、もっと良い採点をしています。若いと、理不尽な社会に義憤を感じることが多いですよね。「西部戦線異状なし」に泣き、「自転車泥棒」に胸を締め付けられ・・・

>チェコ
そうですね。フォアマンは“プラハの春”の挫折後に渡米して、十年もしないうちにこの作品を作った。その前の長編が「パパ/ずれてるぅ!」ですので、びっくりした人も多いのでは? 尤も、この邦題より深刻な内容の作品とは思います。未見なので何とも言えません。

>「ショーシャンク」
評論家の投票ではさすがに1位にはなれない。

>リベラル派
反発は当然。あれくらいの運動はあってしかるべきでした。
しかし、現在のアメリカにおけるリベラル、というよりは厳密には左派ですが、行きすぎですね。

>ヴィンセント・スキャべリ
あの垂れ目は、名前は忘れましたが、何とかという病気かもしれませんね。

>ダニー・デヴィート
当初解らなかったですよ。余りに背が低いのでそれと気づいた次第。

>ブラッド・ドゥーリフ
昔はダーリフと言っていたような気がしますなあ。
浅野さんのコメントのほうがより映画評になっています(笑)

>ニコルスン
「イージー・ライダー」以来、彼のイメージは反体制ですよね。
仰るように相対的にまっとうなので、良い感じに見られたかもしれません。いずれにしても名演と思います。
オカピー
2018/07/11 10:21
どなたも経験済みと思いますが、パソコンの漢字の間違い変換というのは、どうして、ときに、とんでもなくもっともらしくなるんでしょうかね・・。
青年と打つべきところが性念と・・むしろ、こちらのほうが正鵠を射ているかもしれません(笑)・・。

>浅野さんのコメントのほうがより映画評になっています

 ぼくのは、映画的文脈から捉えた講談調の読書感想文のまとめに過ぎません。(初心者さんには受けがいいですが・・)
映画通をうならせる、直球勝負の本コラムこそ映画評論の真髄、というのが、多くの映画評を見てきたぼくの下した結論であります。
浅野佑都
2018/07/11 21:06
浅野佑都さん、こんにちは。

>間違い変換
内容は解りましたから問題ありませんでした。
投稿者がコメントを後から訂正できないのは不便ですね。

>初心者
は僕の映画評は「うるせえ爺だな」と思っているでしょう(笑)

>映画評論
いやいやどうも。
しかし、“映画評論”という表現は、映画“批評”にかこつけての映画“評論”のつもりで書いていますので、嬉しいですね。

浅野さんのようなかたがもっと増えると良いのですが、「うるせえ爺」ですからねえ(笑)
オカピー
2018/07/12 21:06

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