プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画評「それから」(1985年)

<<   作成日時 : 2018/06/26 08:24   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1985年日本映画 監督・森田芳光
ネタバレあり

夏目漱石の中期三部作と言われるうち「三四郎」に続き「それから」を再読し終わった。原作の内容をよく憶えているうちに再鑑賞しようとライブラリーから取り上げることにした。原作は40余年前の高校生の時に感激した作品である。僕は戯作的な初期よりこの時代の漱石が好きなのだ。
 1985年、初めて読んでから10年くらい経ってこの映画版を観たわけであるが、アクション俳優のイメージが強かった松田優作が主演であることと、森田芳光監督が時にアクセントのように見せるやや前衛的なカメラ処理(例えば移動する物にカメラを取り付けるアイデア、主人公の心象風景である電車における幻影、極端すぎるロー・ポジション/ハイ・ポジションのカメラ)が明治・大正の文芸ムードを殺ぐ部分があり、少し違和感を覚えて見終えたものである。
 後年「失楽園」を観た時に見事な正統派文芸ムードを感じ、監督自身が真の意味で正統派になったのか、それとも変化する映画環境が相対的にそう見せるのか判断に迷っていたのだが、今回見直してやはり監督自身がぐっとオーソドックスになったのだと確信した。

前置きはこのくらいにして、物語に参りましょう。

代助(松田優作)は大学卒業後三十歳になる今日まで働いていないが、実業家の次男として別宅を宛がってもらい、賄いをする老婦人や書生まで雇っている。ある時かつて相思相愛の仲と知りながら義侠心により友人・平岡(小林薫)に譲った三千代(藤谷美和子)が、病弱の上に生計に追われ夫君からも冷たくされる不幸な結婚生活を送っていると知り、遂に平岡に頭を下げて三千代との関係復活を願い出る。しかし、その為に家から勘当され、生れて初めて街に出て仕事を求めざるを得なくなる。

慢々的に推移する前半と極めて対照的に、後半は怒涛である。描写を主人公の心理に置き換えてみれば、低回的であったものが葛藤に変質していく鮮やかさと言うべし。映画は前半部分を少々詰めているので原作ほどの差は感じられないが、その代わりユリの花に示される三千代の思慕などは映像故に強く迫ってくる。

僕は、順調に行かない恋愛をする登場人物の心理を描いたものが昔から好物なのでこの作品の後半も手に汗を握って読み進めたものだが、それに留まらず、愛する者を救うためとは言え主人公の決意に人間として胸に迫るものがある。映画では解りにくいが、これが近代的日本人としての主人公の覚悟であって、漱石はこのように始まったばかりの20世紀の今を、そして今後を、冷徹に見据えていたのである。

今思うに、松田優作は善戦であったろう。笠智衆の父親、中村嘉葎雄の兄、草笛光子の義姉(嫂)という配役の中では中村嘉葎雄が一番感じを出している。

続く「門」の夫婦は、この男女の正に「それから」のようでしたね。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
映画評「それから」(1985年) プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる